昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われてきました。
春はお彼岸が終わると、もう「寒い」と感じることはあまりなくなるので、「確かに言葉の通りだな」と思います。
けれども、地球温暖化の影響なのか、鹿児島では10月になっても気温がしばしば30℃を超える日があるので、秋のお彼岸の場合は「暑さは彼岸まで」ではなく、「彼岸から残暑が始まる」といった感じがしています。
ただし、冬はこれまで通りに訪れるので、その分、秋がかなり短くなったように思われます。
ところで、私たちは誰もが人間に生まれた以上、「幸せになりたい」と思っています。
それは言い換えると、「自分の人生が自分の思い通りになったら素晴らしい」と願っているということです。
それにも関わらず、私の目に映る現実の世界は、なかなか私の思い通りになってはくれません。
けれども、はたしてすべてが私の思い通りになったら、本当に私たちはすべての事柄に満足することができるのでしょうか。
例えば、今から30年前と今の暮らしと比較してみると、どうでしょうか。
医療面では、医師の診断を耳にしただけで「もうダメだ」と絶望していたような病気でも、現在は早期に発見すれば概ね治るようになったり、あるいは延命率が飛躍的に高まったりしています。
また、通信面では、一人一人が携帯やスマートホンを手にするようになり、画像や動画もすぐに撮影して送れるようになりました。
交通面では新幹線や高速道路が次々と各地域間を結び、移動時間は驚くほど短縮されています。
さらに、娯楽面では、ゲームや映画などが手元で楽しめるようになったり、音楽もダウンロードすることですぐに耳にしたりすることができるようになりました。
まさに、「ああなれば…」とか、「こうなれば…」といったことの大半がかなっているのですが、では私たちは今の生活に十分満足しているかというと、そうでもありません。
世の中の生活水準が向上し、いろいろな機器が便利になっても、日々の生活にあまり明るさや喜びを感じられないのはなぜなのでしょうか。
私たちの「満足度」は、=「所得」÷「欲望」だと言われます。
次から次へと欲しいものは世の中にあふれだしてきます。
それに所得が追いつけば、ある程度の満足を得続けることはできるのでしょうが、なかなかそのような訳にはいきません。
そうすると、必然的に満足度は次第に小さくなってしまいます。
たとえば、エアコンが家庭にあるのが当たり前のようになると、やがて一軒に一台から一部屋に一台ずつ欲しくなります。
その場合、満足度は所得との兼ね合いによって変わります。
さらに、各部屋にエアコンが設置されると、今度はエアコンの性能により満足度は上下してしまいます。
交通面でも、新幹線が鹿児島まで開通するまで、博多から鹿児島中央までは5時間を要していましたが、現在「みずほ」が要する時間は半分以下の(最短)1時間16分です。
また、現在東京・名古屋間は「のぞみ」により(最短)1時間35分で結ばれていますが、2027年開通予定のリニアモーターカーでは最速40分で結ばれることになります。
さらに、2045年には、東京と大阪が最速67分で結ばれる予定になっています。
おそらく、それよりもずっと先のことでしょうが、鹿児島と博多がリニアモーターカーで結ばれると、30分足らずで結ばれるようになるのでしょうか。
けれども、そこにもやはり「採算(所得)が伴えば」という条件がつくことになります。
このように、私たちの欲望は、かなってもかなっても止まることを知らず、限りなく増大し続けていきます。
そのため、いつになっても本当に満足することができないのです。
お金や土地、物などによって心を満たそうとするあり方とは、外の物によって自分を満たそうとするあり方です。
そのようなあり方に終始していたのでは、つまるところ自分の本来あるべき姿を見失ってしまうことになりかねません。
「われ ただ 足るを 知るのみ(吾唯足知)」という言葉があります。
お彼岸には、お寺の本堂に足を運び、お念仏のみ教えに耳を傾け、何が自分にとって本当に必要なことなのか、何があればこの人生は十分事足りるのか、そのことに心を寄せていただきたいと思います。