三十一回
かくれ門徒の様態(その7)
いままで見てきましたように、鹿児島の門徒たちは信仰を守りとおすために様々な方策を廻らしたのでした。
しかし、それは粗放な策略でした。
この点について、米村竜治氏はその著『殉教と民衆-隠れ念仏考-』において、いつの時代でも権力と民衆のあいだには虚々実々の駆け引きがある。
ここから先はだめだが、ここまではいい。
そういう暗黙の了解があり、ゲーム性が内在する。
勿論、それにはルールの条件がいる。
隠して行うこと、擬装して行うことである。
例えば人吉地方に残る「隠し仏間」の通常的を型の場合、床の間の横の押入れという隠し仏間に於ては、現実には隠しになっていない。
襖一枚開ければ、まさに裸のままの如来の仏壇が燦然である。
容易に人の目につく所に置きさえしなければ、これを答めないという双方の了解があったとも思われる。
この場合、擬装を民衆の知恵として評価するのは間違っている。
擬装は権力の側でしつらえた落とし穴であったのである。
普遍宗教が擬装という閉鎖と秘儀の世界に後退した場合、やがては換骨奪胎、元の姿とはおよそ違ったものに変容し転落する。
タテマエはそうだがホンネはこうだきという論議は、本来、骨抜きにされた者の負け惜しみか自己満足にすぎない。
擬装に追いこめば禁制という裏側の禁圧政治は成功したのである。
権力は民衆のホンネに気づいていないという論理、そしてそのホンネを民衆の「正」の部分として評価する視点があるとすれば、それは権力の構造を単純に見過ぎる者の倣慢さでしかない。
権力はむしろ民衆のホンネを察知した上で、根絶やしにすることにより、ある方向へ変質させ転落させること、これが権力のとる常なるゲームである。
と、洞察されています。