『ぼくが泣いたら(特派員メモより)』
サンフランシスコからハワイに向かう機内で、小さな赤ちゃんをつれた二人の女性の隣になった。
「こんにちは」とあいさつをして席に座った。
「これをどうぞ」。
女性は手紙が添えられた小さな袋をくれた。
中には耳栓とキャンディーとラムネ。
手書きの手紙にはこうあった。
「僕は生後2か月のジェイデンです。
これが初めての飛行機です。
いい子にしているつもりだけれど、怖くなったり耳が痛くなったりしたら泣いちゃうかもしれないので、ごめんなさい。
ママとおばさんが、このお楽しみ袋を作ってくれました。
それでは良いフライトを。
ありがとう」
周囲の人たちも同じものを受け取ると、みな「あら、素敵」。
母親のジェファニイさん(18)は「子どもが泣いたときに嫌がる人もいるかと思って…」
あまり気をつかう必要もないだろうが、みな急に親しみを感じたようだ。
時々ジェイデン君の様子を見たり、寝顔をのぞいたり。
ジェイデン君は終始ご機嫌で無事に到着。
叔母のクリスデインさんは「おしゃべりできて楽しかった」と笑顔で降りて行った。
「あう」と言う文字は「会う・合う・遭う・逢う・遇う」と、いくつもありますが、親鸞聖人が大切にされた「あう」は「遇」です。
かねて親しい夫婦・親子でも、見ず知らずの人であっても、人と人が出会うのは当たり前と思っていたがそうではなかった。
実に不思議なご縁の中で人と人は、たまたま出遇うのであり、そしてその出遇いには深い意味が込められているということをジェイデン君の話から知らされたことでした。