友引は「友を引く」と書きますので、その文字のイメージから、友引の日に葬儀をすると死者がこの世の人(友)を引っぱり、さらに死人が出るのではないかという不安や思いから、その日は葬儀を避けたほうがいいと言われるようになりました。
まず結論から申しますと、全くそのようなことはありません。では、友引とはそもそもどういう言葉なのか。
友引とは、昔の暦で言う「六曜」の中の一つに出てくる言葉です。現代の私たちは「七曜」といって、月曜から日曜まで七日ごとに同じ曜日になる暦を使っています。それが昔は「六曜」だったのです。
先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口。これらが言わば六つの曜日の名にあたり、今の日曜とか月曜というのと同じことで、中国で生まれた占いの言葉がそのまま用いられたと言われています。
六曜には一つの法則があって、旧暦の一月と七月の始まりの日(一日)は先勝と定められており、同じように二月と八月は友引、三月と九月は先負、四月と十月は仏滅、五月と十一月は大安、六月と十二月は赤口で始まるように決まっていたのです。ですので、毎年同じ日は同じ曜日になるのが昔の六曜でした。
また、文字についても友引ではなく「共引」と書くのが本来で、日本に入ってきてから共が友と書き換えられ、そのようなイメージに繋がったのではないでしょうか。ですので、ただの文字の連想であり、曜日によって人生を右往左往することはありません。
葬儀という身近な人の死という現実の中で、死という事実を静かに受け止め、深く考え見つめていく事が、今、生かされて生きている私の責任であり、人間としての大切な生き方であると仏教は教えてくれます。
何の根拠もないことに身を煩わせ、振り回されるのでなく、お手次ぎのお寺のご住職と相談をされるなど、「聞法」を中心とした中でともに考えていけたらと思います。