2021年7月法話 『今日もまた 幸福求めて四苦八苦』(後期)

幸福というと「ゆとりが有る、健康で有る、悩みが少ない」という理解が一般的にあげられます。もちろん、余裕がなく、病の身て゜あり、悩みの中でもクヨクヨすることなく、明るく生きている人もいますから、幸福の条件は一概には言えません。

今、世界中が新型コロナウイルスの蔓延により、多くの人が困難な状況に陥ったり忍耐を強いられたりしていますが、「人間にとって幸福とは何か…・?」ということを今さらながら考えさせられます。

コロナ禍で人々の生活様式や価値観など、社会の様相は一変しました。これまでは、ゆとりのある生活をしていた人が職を失い、困窮している家庭もたくさんあります。日本は、世界でも有数の豊かで幸せな国だったはずなのに、凶悪犯罪や虐待、いじめなどの問題が後を絶ちません。

ある方が「幸せになるための計算違い」ということを教えてくださいました。合計を100にするための計算式は、「50+50」「60+40」「70+30」「80+20」「「90+10」「1+5+7+12+20…」=100とたくさんある。では、「余裕+健康+悩みが少ない=幸福」「財産+名誉+地位=幸福」になりますか?

実は、私たちが日常生活で求めている幸福はすべて流動していくものです。一度手につかんだら、絶対に変わらないものならば幸福の条件を満たすかもしれませんが、残念なことに、余裕・健康・財産、地位、名誉などはすべて私の手元から離れていくものばかりです。

子どものためにと蓄えた財産が仇となり、兄弟が骨肉の争いを展開していくとしたら、残され者は幸福になるどころか地獄へ向かって突き進んでいくという、まさに標題の「今日もまた幸福を求めて四苦八苦」の繰り返しの人生となってしまいます。

親鸞聖人は、「どのように時代が変わろうと、決して崩れることのない幸福とは何か」を求めていかれた方です。本当の幸福とは、欲望を満たすため探すのではなく、何が起きても大丈夫な人生を生き抜いていける真実の教えに出遇うことではないでしょうか。