毎月、保育現場の先生方を対象として発刊されている月刊誌にコラムを掲載しているのですが、事前にPDF化された校正用の原稿がメールで送られてきます。その際、既に事務局によって漢字で表記した箇所が平仮名に修正してあったり、時には表現の仕方に手が加えられたりしていることもあります。前者については、新聞社が記事に使用する漢字の字種と音訓を示す新聞常用漢字表に基づいて記述しているように、一定のルールに基づいて校正が加えられているのでそれに従っていますが、後者については執筆意図と違う表現になっている時は元通りの表現に改めてもらうようにしています。けれども、後者についてはまれなケースで、大半は前者なので、校正原稿をチェックする際は「承知しました」と答えています。
ところが、先日事務局から口頭で修正の申し入れがありました。それが以下の原稿についてです。
ボクは、君にバカです
時折、テレビでアイドルに熱狂する人たちの姿が報じられることがあります。大好きなアイドルに貢献するために同じCDを大量に買い込んだり、あるいはせめて遠くからでも一目見たいと足繁くコンサートに通ったり、握手をするために何時間も並んで待ったりするなど、その熱意と行動力には見ていてとても驚かされます。
以前は雑誌やテレビ、ファンクラブの会報などを通してしか知り得なかった人たちの情報を、今ではユーチューブやインスタグラムなどのメディアによって容易に手に入れることが出来ます。遠い存在だったアイドルを身近な存在として感じられるようになったことで、よりファンの人たちの熱意にエネルギーが注がれているのかもしれません。
ところで、なぜ人はアイドルにハマったりするのでしょうか。誰もが、生きていく中で何かしらの悩みを抱えているものですが、もし同じような悩みを抱えながら頑張っているアイドルが、それらの内容を歌詞にして歌っていたらどうでしょうか。自己肯定感を高めてくれたり、勇気をもらったりすることがあるかもしれません。そういったことから、ファン心理の中には「共感」「熱狂」「目標」「応援」などの要素があるとされています。だから、懸命に「頑張れ-」と声援を送ったり、「大丈夫だよ-」と応援したりするのだと思います。そして、それらの言葉はアイドルに向けられていながら、実はいろんなことに負けそうになる、自分自身に言い聞かせるための応援メッセージなのかもしれません。
ところで、もしあなたがアイドルに熱狂する人たちの一人だとして、日頃の応援の努力の成果によって、自分のあこがれの人と二人きりで会えることになったとしたら、最初にどのような言葉をかけますか。「こんにちは」、それとも「大好きです」ですか。
私だったら、きっと相当に舞い上がり頭の中が真っ白になってしまって、思わず「ボクは、君にバカです」なんて、訳の分からないことを口走ってしまうかもしれません。でも、誰かにバカになれるくらい情熱を注げる人のいる人生って、素敵だとは思いませんか。その人のことで一喜一憂したり、泣いたり笑ったりするなんて、周囲の人から見たら愚かな行為に見えるかもしれませんが、実はそれがいろんなことに負けそうになる自分を鼓舞することに繋がっているのだとすると、一笑に付すなんてとてもできません。
「誰かのことで夢中になったり笑ったり泣いたりする」。その「誰か」が、保育者のあなたにとって、自分の周りにいる子ども達だったらどうでしょうか。人生を振り返った時、「子どもたちのことにバカみたいに情熱をもって取り組んでいたな…」と思えるような保育ができていたら、その時あなたに受け持たれた子どもたちは、あなたのことを忘れがたい大切な人として、きっといつまでも忘れずにいてくれているはずです。
どこがダメ出しをされたのか分かりますか。文章のタイトル「ボクは君にバカです」をはじめ、文中に出てくる「バカ」という表現が、「強すぎる」とのことでダメなのだそうです。最初にそう言われたときに思いだしたのは、テレビで「日常会話の中で親しみを込めて言うときに、関東ではバカを使い、関西ではアホが使われる。また、関東ではアホと言われると、一方関西ではバカと言われると、それぞれきつく感じる」という話です。月刊誌の発刊元が関西地区なので、「バカではなくアホなら良いの?」と言ったのですが、事務局が言うには、『バカという表現はきつく感じられるので他の言葉に変更するか、その言葉を残すなら「ボクは君に夢中です」という表現ではどうかと言われている』とのことでした。
けれども、このコラムの中で用いている「バカ」という言葉は、その前に「ボクは」と冠してることからも分かるように、あくまでも自身のことを言っているのであって、そのことで誰かが傷ついたりすることがあるとは考えられません。つまり、これはどこまでも私個人の内面を語っているにもかかわらず、その領域に踏み込んできてあれこれ指図するというのは、何とも傲慢なのではないかと思いました。
文章を読むとお分かり頂けると思うのですが、ここでの「バカ」はいろんな意味を含んでいます。そのため、読む人も自分なりの感性で受け止めてもらえる可能性があることを期待しています。にもかかわらず、それを「夢中」という言葉で限定されるのは、極めて心外でした。とはいえ、いつまでも抵抗したのでは事務局の職員も板挟みにあって大変だと思ったので、妥協策としてバカの箇所を〇〇にして、「ボクは君に〇〇です」ならどうですかと提案しました。なお、当初ダメ出しをされていた文中の「バカ」の方は、後日「そこも○○にしてしまうと文意が伝わらなくなるので、タイトルだけ○○にしてもらえれば…」とのことで復活しました。
とはいえ、読者となることを想定している保育現場職員が、このコラムを読んだとき、本当にタイトルや文中のバカという言葉を不快に感じたり強い表現だと思ったりするのか確かめずにはおれなくなりました。そこで、こども園の職員数名に文章を読んでもらうことにしました。返ってきたのは「特に不快に感じるような箇所はありませんでした」 という答えでした。さらに、「もしこれが、ボクは君に夢中ですというタイトルだったらどう?」と尋ねたら、即座に「それはダサイです」と。また、「実際に、ボクは君にバカですとかいわれたら、どれくらい自分のことを思ってくれているのかとか想像してキュンと来るかもしれないけど、夢中ですだとちょっとひくかも」とも言われました。それを聞いて、「ボクは君に夢中です」という提案を受け入れなくて、本当に良かったと思いました。
辞書によれば、この「バカ」という言葉は、古代サンスクリット語で「moha」といい、もともとは「無知」という意味でした。それから派生して、次のようにいくつもの意味で用いられるようになっています。
① 知能が劣り愚かなこと。また、その人や、そのさま。人をののしっていうときにも用いる。
② 社会的常識にひどく欠けていること。
③ つまらないこと。無益なこと。
④ 度が過ぎること。程度が並外れていること。また、そのさま。
⑤ 用をなさいなこと。機能が失われること。
【補説】
元来は、相手のののしる言葉であるが、「バカだな。そんなに思い詰めなくても良いのに」などと、相手に対する思いやり、親しみ・愛情の気持ちをこめて用いることもある。また、「バカ、あきらめるな」のように、否定や批判などの意で、感動詞的にも用いられたりする。
この他にも、世間的には下記のようにいろいろな意味で語られています。
(1) 言葉の発し方で、けなすことにも愛情表現にもなる不思議な言葉。
(2) 愛情の裏返しの意味を持つ。連呼すればするほど「愛しい」という意味になる。素直になれない人が使用する。
(3) 一拍置いて呟く様に言うと、とんでもなく「萌え」となる言葉。
(4) きれいで魅力的な女の人に耳元でそっと甘くささやかれると、どんなことでも許してしまう言葉のこと。またはそれによって簡単にだまされてしまう男のこと。
(5) 関西人に対する最高の侮辱の言葉。「アホ」との誤用に注意。
私としては、辞書的には④の意味で、また【補説】の相手に対する親しみ・愛情の気持ちをこめて用いたつもりでした。さらに、よく当てはまるのは(2)(3)(4)かなと思っているのですが、ダメ出しをした「上の人」は、おそらく(5)の意味で理解しているのだと思われます。
「言葉」は生きものであって、時代によっていろいろな意味に用いられます。しかも一つの言葉には、辞書的にも世間的にも複数の意味があります。それを無視して、自分が知っている知識だけで判断しそれに固執していると、やがて周囲の人と意思の疎通を図れなくなってしまう危険性があります。今回の経験を他山の石とし、視野狭窄に陥ることのないよう留意していきたいと思うことです。