小学校3年生になる双子の娘達が、国語の授業で俳句を学んできました。
その時季ならではの風情や情景、あるいは心に感じたままを「五、七、五」の十七文字にして表現する。感性という部分をどれだけ言葉に表現できるか、8歳の娘達にはまだまだイメージが難しいようですが、それぞれに一生懸命何かを感じ取ろうとするその姿に、私も改めて五、七、五に触れながら、古来より七五調に紡いできた響きの良さを教えられています。
学校の宿題では、担任の先生から、日記の変わりに俳句3句でもOKとのことで、文章を長く書きたくない娘達はここぞとばかりに五、七、五を考えますが、そう簡単には思いつきません。子どもたちからも、「お父さん、俳句ってどうやって作ればいいの?」と尋ねられるのですが、私自身もなかなかうまく表現できず、いかに知っているつもりになっていた自身の姿を省みる思いです。
そこで、まずは五、七、五に慣れることから始めてみようという思いから、日常の中で「五、七、五」を用いて会話をしてみることになりました。
例えば、
「そこにある、醤油を取って、くれないか」と私が言うと、子どもがそれに対して、
「はいどうぞ、醤油を取って、あげましょう」と返す、そのようなやりとりを親子の会話の中で楽しみながら始めていきました。
それ以来、子どもたちもすっかり五、七、五で表現することがおもしろくなってきたようで、たくさんの五、七、五が飛び交うようになってきました。
「宿題は、なんで毎日、あるのかな」
「お父さん、ビール1本、はい終わり」
「行ってきます、今日も元気に、行ってきます」
季語が入っておりませんから俳句というよりほぼ川柳に近いものばかりですが、七五調の持つ言葉のリズムと、子どもたちの素直に感じたままの五、七、五がとても心地よく、それから数日間はそのようなやりとりが続きました。
そんな中、もう一人、一番下の4歳になる娘も私たちのやりとりを身近に見ていますから、「わたしも、わたしも」と言葉をいっぱい繋ぎ、見よう見まねで五、七、五の真似をしては、言葉遊びを楽しんでいたとき、ある晩ご飯の時でした。4歳の娘の口から思いもしない五、七、五が出てきたのです。
その日の晩ご飯はお魚の開きをみんなで食べていました。「お魚には骨があってなかなか食べにくいときもあるけど、お魚さんありがとうって、最後まで、きれいに食べようね」などと、食事の中でそのような会話をしていたとき、4歳の娘が、
「さいごまで、いきるいのちを、ありがとう」
と、五、七、五で詠んだのです。
その言葉に家族一同、驚きやら感激するやら、祖母にいたっては涙を流し、「おばあちゃんも最後までこの命を大切に生きるからね」と、いつもは弱気な発言も多い祖母も、この時ばかりは、「この子たちの結婚式までは生きていたい」と、4歳の孫に生きる希望を与えられたようです。
食事は、また違う角度から見ると他の命を奪うこと。そのいただいた命が私の命となり、たった一つの私の命の中には、これまでに食べたたくさんの命が存在していること。決して粗末にしてはならないことを、4歳児の詠む五、七、五に教わりました。お姉ちゃん二人も妹のこの言葉にすっかり甲を脱ぎ、一気に家族の中での俳句のチャンピオンになったのでした。
娘たちに教えられた十七文字の言葉の世界。感受性の豊かさは、私よりも遙か上をいく子どもたちをこれからも見習っていこうと思います。