どうして仏壇が必要なの?

どうしてお仏壇が必要かというご質問に対しては、その意味合いが分かれば「必要になってきます」と、まずはお応えしたいと思います(ん、少し上から目線?でしょうか)。

ではなぜ、お仏壇が「必要になってくるのか」と僧侶の立場からご説明しますと…、ここは私の見解ではなく、浄土真宗本願寺派の僧侶で宗教学者の釈徹宗先生のQ&Aから引用してみます。釈先生は、「お仏壇があると生活空間に軸が生まれる」と述べられ、次の4つの理由をあげられています。

一つは仏さまをおまつりする場、二つ目は家の軸であること、三つ目は先に往(い)かれた人との対話の窓口でもあること、四つ目は自分の姿を映す鏡でもあること、の4つです。

「ご本尊」(本当に尊いと書きます)を安置して、日常生活の軸として、先立たれた方とも対話を重ねていける窓口としての場。なおかつ自らの姿をふりかえることのできる鏡でもあるというのです。

そして、こうしたお仏壇の必要性については、ぜひとも、身近なご縁のある僧侶の方にお尋ねになっていただければとも思います。私のいのちの姿(生老病死)をそのままおさめ取ってくださる「南無阿弥陀仏」のご本尊です、ぜひともお迎えくださいと力強く勧められること間違いなしです。

さて、先の4つに1つだけ付け加えておきますと、お仏壇のことを「お内仏」とも言います。「内にある仏さま」です。私は、ふるさとを離れていてなかなか帰省できない方には、「お内仏様を通してお参りくださいませ」とご案内しています。たとえ遠く何百キロと離れていたとしても、「同一念仏」が南無阿弥陀仏の仏さまです。生活空間の軸である「お内仏」は「同一のはたらき」をうながすが故に、時と場所を限定せず広がりを持つと、確かにうなずけるからです。

以前、ある過疎地域に所在する寺院のご住職が、このように言われたと聞いたことがあります。「この村は過疎化が進んでいくけれど、このお寺は、皆に支えられている村のお内仏です。」と。

世代を超えて、物理的距離をも超えてつながっていく。お仏壇、お内仏、そして何よりもご本尊を通して、自分では見過ごしてしまう「本当に尊いこと」に気づかされていくのです。