お盆というのは正しくは、
「盂蘭盆(うらぼん)」
と言います。
古いインドの言葉
「ウランバナ」
を音写して盂蘭盆となりました。
その名もずばり盂蘭盆経(うらぼんきょう)という教典が元になって営まれる仏教行事です。
盂蘭盆経にはお釈迦様の弟子、目連尊者(もくれんそんじゃ)とそのお母さんのお話が描かれています。
そのお話のあらすじは次の様なものであります。
『ある日、大変お母さん思いだった目連尊者は、亡くなった母親が今どこでどうしているのかが気になって、あらゆる世界を見通すことのできる神通力で母親の姿を探します。
しかし母親の姿は極楽浄土にも天上界にも見あたりません。
もしやと思いながら他の世界を探してみると、餓鬼道(餓えた鬼の世界)に母親を見つけます。
あさましい餓鬼の姿に変わり果てた母親の姿に目連尊者は大変驚き悲しみます。
何故に母親が餓鬼道に落ちたのかといえば、生前の母親の行いによってでありました。
他の人と分けるべきものを分けず、他人に施したり何かを恵んだりと言うことを一切していなかった目連尊者の母親は、それが元になって餓鬼道に身をおとしていたのでした。
目連尊者は
「母は自分を育てるために欲を張り、餓鬼の世界に身を落としたのではないか」
と悲しみをより深めます。
飢えに苦しむ母親の姿に、目連尊者は居ても立っても居られず、お釈迦様に母親を救い出す方法をたずねます。
お釈迦様は、夏安居(げあんご)というお坊さんの勉強会の最後の日(旧暦の7月15日)に、仏弟子達に盆に盛ってお供えをして心づくしのおもてなしをすることをすすめられます。
目連尊者がお釈迦様のお勧めのとおりにすると、お母さんが餓鬼の世界から救われた。』 このお話には、子を思う親の思い、親を思う子の思い、他のものと分けること、施しをすることの大切さがえがかれているといただくことが出来ます。
仏教行事としてのお盆は宗派によってその意味や意義が様々であります。
私たち浄土真宗の門信徒として
「お盆」
をどのようにとらえて、どのように過ごすのか、考えてみたいものです。