冥加(みょうが)といっても、最近は生活の中で耳にすることはほとんどありません。
冥加金という言葉があります。
お寺に進納するお金のことです。
仏さまに対する謝礼をお金で表したものですが、ではなぜ
「冥加金」
といわれているのでしょうか。
冥という字は
「冥福を祈る」
とか
「冥土のみやげ」
という言葉があるように、あの世を連想させますが、もとは
「くらい」
という意味で、はっきりと知られないことを指しています。
つまり、知らず知らずのうちに与えられている仏の加護や、さまざまなおかげなどを冥加というのです。
ところで、私たちは日頃どのような時に
「おかげさま」
を感じるでしょうか。
ほとんどの場合が、自分の願いがかなった時ではないでしょうか。
しかも、自分が直接に知っている事柄に対してだけ、おかげさまと感じるように、きわめて狭い範囲しか見ていないようです。
ところが、生きているということは、実に多くのことに支えられています。
日常は特に意識することもありませんが、私たちは他の生き物のいのちを食べて生きています。
動物ばかりでなく、植物からも、さらにいえば水や空気からもいのちをもらっています。
この事実を忘れて、自分ひとりの力だけで生きているように思うなら、それは傲慢(ごうまん)といわれても仕方はありません。
自分に都合の良いものは利用し、都合の悪いものは排除する、そんな生き方になってはいないでしょうか。
実際、現代人の人間中心の文明は、自然を利用することのみに走り、感謝を忘れてしまっているようにも見えます。
冥加とは、自分の願い事をかなえるために仏に期待することではなく、既に支えられていたことへの感謝が込められた言葉だといえます。