(インドコルカタ編つづく〜2009.1月掲載の続き)
夜中2時。
我々5人の旅行者を乗せた明らかに定員オーバーのタクシーは、まるでインドの底力を見せつけるかのように、車体がどんなに大きく浮き沈みしようとも、それに怯むことなく、真夜中のコルカタを市内に向けて轟々と走っていました。
内心、カーブにさしかかる度にドアが外れて外に放り出されないか、気が気ではなかったのですが、それさえ忘れさせてしまうほどの光景がそこにはありました。
窓から入る夜風が、密着した5人の男たちの間を心地よくすり抜けていきます。
比較的大きな道路を走行していたときのことです。
道路脇に大きな丸太のようなものが一定の間隔で置かれているのが、ぼんやりと灯る街灯の明かりの中にうっすらと見えていました。
もうどれぐらい走行したでしょう。
この丸太の列が途切れることはありません。
明るくなってきたこともあり、改めて何だろうと思いながら目をこらして見てみると…、何とそれまで丸太だと思い込んでいたのは、人なのでした。
人が、道路に寝ているのです。
それもおびただしい数の人が。
中には、子どもの姿もあるようです。
暑く蒸されたアスファルトの上や、車のボンネットの上、積み上げられたゴミ置き場の周り。
至る所に人が横たわり、すやすやと寝ています。
まるで、大きなマグロが市場に並べられているかのように。
インドの強烈な実情を目の当たりにして、すぐには言葉が出ません。
ただ、
「見よ!」
とインドに言われているかのようでした。
私は日本人。
ここはインド。
日本で生まれ育った私の根底に流れる日本の風習、物事の捉え方、生活環境など、私を形成している常識の全てが大きく揺らぎました。
そして、凝り固まった私の浅はかな常識など、ここではまるで通用する術がないことを思い知らされました。
更に驚かされたのは、寝ているのは人だけではないということです。
牛も至る場所で横になっています。
ヒンドゥー教徒が国民の多数を占めるインドでは、牛はヒンドゥー教の最高神であるシヴァ神の乗り物とされています。
したがって
「聖なる生きもの」
として、傷つけたりすることはもちろん、食べることしません。
都会の街中でも、人や車に混じって、牛も堂々とその一員として生活をしています。
人々は、道路の真ん中に牛が横たわっていても邪魔者として扱うことはせず、丁寧にその牛をよけて通行し、また線路に牛がいれば列車も徐行運転をするなど、インドは牛優先といった感じです。
人、牛、そして野生の犬たちも含め、あらゆる生き物が一緒に寝ているコルカタの夜。
私には、この光景をカメラに収める必要などありませんでした。
なぜなら、実際の画像以上に、私のまぶたのシャッターが、この光景を鮮烈に脳裏の奥深くに焼き付けてしまったからです。