『真あたらし いのち響かせ 南無の声』

 今年も新しい年を迎えることが出来ました。

私達は普段、「今、自分が生きているのが当たり前」「日々が過ぎ去っていくのは当たり前」と思いがちですが、果たしてそうなのでしょうか。

人として生まれ、今こうして生きているということは、実に不思議なことではないでしょうか。

 その昔、お釈迦さまはガンジス河のほとりをお弟子のアーナンダと歩いておられる時、地面の砂を自分の爪の先に取られて次のように問われたそうです。

『アーナンダよ。

この爪の先の砂と、大地の砂とでは、どちらが多いか?』と。

アーナンダはお釈迦さまは「おかしなことを訊かれるものだな」と思いながらも、『爪の先の砂はわずかで、大地の砂の方が比べものにならないくらい多いです』と答えました。

 すると『そうであろう。

いのちあるものとして生まれ来る中で、人として生まれるということは、これほどわずかばかりのことである。

また、同じく人として生まれても、仏の教えにも遇うものはまたわずかばかりである。

だからこそ、しっかりとした正しい道を歩まねばならない』と告げられたそうです。

 動物や植物など、数えきれない命の中から、私たちは人として生まれてきました。

そして、目には見えない多くの不思議なご縁によって、今こうして遇い難い仏さまの教えに遇うことが出来ています。

「南無」とはインドでの発音を音写したもので文字そのものに意味はなく、中国ではこれを「帰命」と訳しています。

「浄土という、命の帰っていく世界を信じる」ということですが、阿弥陀仏という仏さまは、私が願うその前から、そして願うと願わざるとにかかわらず、いつも私の称える「南無」の声となって喚び続けていて下さいます。