イギリスのファラデーという科学者は、大学の科学科の学生達に一本の試験管をもって、次のように尋ねたそうです。
「この試験管の中には、少量の液体が入っている。
何だと思う?」
学生達は、
「水分と少しの塩分です。」
と答えました。
するとファラデーは、
「先程、ある学生のお母さんが、私の所へ来られた。
子供のことが心配で、涙を流して語っていかれた。
母親の愛情の深さには、本当に心を打たれる。
その時の涙がこの試験管の中に入っている。」
続けて学生達に
「確かに涙を科学的に分析すれば、少量の塩分と水分にすぎない。
しかし、この涙の中には、科学も分析しえない深い愛情がこもっていることを知らねばならない。」
と言われたそうです。
様々な状況で流す涙。
流す人の情という目には見えないものがあることを教えてくれます。
私は高校時代、親元を離れての生活でした。
親の目の届かないことをいいことに、好き勝手に生活しておりました。
ある時、学校で問題を起こし自宅謹慎になり、親の呼び出しを受けたことがありました。
私を叱る目には涙が浮かんでおりました。
その涙を見たとき、迷惑をかけた申し訳ない思いと、私を心配してくれていたことへの感謝の気持ちを覚えました。
目には見えないけれども、涙の中に親の情を感じたからです。
流す涙に自らを反省し、お育ていただいたことです。