「そんな所に、何をしておいでなされましたか」附人(つけびと)の寺侍は、叱るように、丘に仰向いていった。
稚子の遮那王は、
「何もしておりはせん」首を振って、
「おまえ達を、探していたんだ」と、あべこべにいう。
下の者は、呆れ顔をして、
「早く、下りておいでなさい」
「行くぞっ」遮那王は、凧のように、両袖をひろげて、丘の上から姿勢をとって、
「ぶつかっても、知らないぞ――」丘のうえから、鞠(まり)をころがすように、駈け下りてきた。
「あっ――」身をよけるまに、一人の寺侍へ、わざとのように、遮那王は、どんと、ぶつかった。
大きな体かせ仰向けざまに転がった。
小さい遮那王は、それを踏んづけて、彼方£、跳びこえた。
「ハハハハ。ハハハハ」手を打って、笑いこける。
「おろかなお人じゃ。
だから、断っておいたのに」
見向きもしないで、もう、すたすた先へ行く。
――足の迅(はや)さ。
寺侍たちは、息をきって、その小さくて颯爽(さっそう)たる姿を折ってゆくのであった。
宗業は、見送って、
「兄上、やはり、鞍馬寺の牛若でございますな」
「ウム」範綱も呆れ顔であった。
「よう、成人したものだ。
……常磐(ときわ)のふところに抱かれて、ほかの幼い和子たちと、六波羅に捕らわれたといううわさに、京の人々が涙をしぼった平治の昔は、つい昨日のようだが」
「義朝殿に似て、なかなか、暴れンぼらしゅうござります」
「附人も、あれでは、手を焼こう」
「いや、手を焼くのは、附人よりも、やがて六波羅の平家衆ではございますまいか。
伊豆には、兄の頼朝が、もうよい年ごろ」
「しっ……」たしなめるように、範綱は顔を振った。
並木のうしろかを、誰か、通ったからである。
「われらの知ったことではない。
歌人(うたよみ)や文書(ふみかき)には、平家の世であろうが、源氏の世であろうが、春にかわりはなし、秋に変りはなし、いつの世にも、楽しもうと思えば楽しめる」
「けれど」宗業は声をひそめて、
「なんとなく、ぶきみな暴風雨(あらし)が、京洛(みやこ)の花を真っ黒に打ちたたきそうな気がしてなりませぬ、――高雄の文覚がさけんだ予言といい、そちこち、源氏の輩(ともがら)が、何やら動きだした気配といい……」
「いうな」と二度も、たしなめて
「おし になれ。
ものいうことは罪科(つみとが)になるぞ」
「文覚もいいました。おし の世だと」
「……そう」と、範綱は、何か別なことを思い出したように、
「おし といえば、有範の和子、十八公麿は、生まれてからもう半歳にもなるのに、ものをいわぬと、吉光の前が、心をいためているが」
「それは、無理です、半歳の乳のみ児では、ものをいうはずがありません」
「でも、意志で、唇ぐらいは、うごかそう」
「ははは、取越し苦労というものですよ。
吉光の前も、日野の兄君も、余りに愛しすぎるから」