『世の中安穏なれ』

 「安穏なる世の中」とは、いったいどのような世の中なのでしょうか。

また、この「安穏」という言葉に託された願いは、この地球上から戦火が途絶え、人種、民族、宗教、男女などの様々な違いを超えて、誰もが等しく仲良く暮らせるような争いのない穏やかな世の中になることだけなのでしょうか。

 この六十年余り、少なくとも私たちの国は外国と正面だって交戦することもなく、部落差別をはじめとする不当な差別解消への取り組みがなされ、男女間の格差も共同参画社会の実現を目指すことで解消しつつあります。

 そのような意味では、「安穏なる世の中」に近づきつつあると言えなくもないのですが、果たして現実の社会において私たちはそのことを実感出来ているでしょうか。

これまでには考えられなかったような凶悪な事件が次々と起こり、親が自分の子どもを虐待したり、殺したりするような痛ましい事件さえ頻発しています。

 そうすると、安穏なる世界などいつまでも訪れることはないのではないでしょうか。

実は、ここで言われる「安穏なる世の中」とは、決して何の問題もない、私を苦しめる何ものも存在しない、私がのんびりと暮らせる世界を意味しているのではありません。

 たとえ状況としては、どれほど辛くても苦しくても、私が私のままに受け止められる、同時に私も周りの人をあるがままに受け止めることが出来れば、安心して生きていくことが出来るように思われます。

例えば、嬉しいことがあってもそれを伝え聞いてくれる誰かがいなければ少しも嬉しくはありませんし、反対にどれほど悲しくても寂しくても話を聞いてくれたり、理解してくれる仲間がいれば、また何度でも立ち上がって行けるものです。

 安穏なる世の中は、どこか遠いところにあるのではなく、共に生きる仲間を見出すところに実現していくのではないでしょうか。