ワクチンはないのでしょうか

巧みなメディア戦略と自爆テロや残虐な殺戮などによって世界中を震撼させている「イスラム国(以下、ISIS)」は、「国」を自称しているものの、世界の国々から正式な「国家」として認められている訳ではありません。

また「イスラム」の名を冠していることから、あたかもイスラム教徒の集団であるかのように装ってはいますが、その理不尽な言動に対して多くの敬虔なイスラム教徒は非難を浴びせています。

日本国内でも、かつてオウム真理教というカルト教団が仏教の一派であることを自称していました。

けれども、当時、伝統的な仏教教団は、オウム真理教の言動に違和感や嫌悪感は覚えても、同じ方向を目指す仏教教団であるとは認めませんでした。

おそらく、敬虔なイスラム教徒の人びとも、ISISの言動に対して同様の嫌悪感は抱いても、共感する人は極めて少ないのではないかと思われます。

ところで、あなたは「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の神は同一」ということを知っていましたか。

イスラム教の『コーラン』には次のようなことが書かれています。

 「まことに信仰のある人びと(イスラム教徒)、ユダヤ教を奉ずる人びと、キリスト教徒、それからサバ人など、誰であれアッラーを信仰し、最後の(審判の)日を信じ、正しいことを行なう者、そのような者はやがて主からご褒美を頂戴するであろう」

イスラム教の経典『コーラン』によれば、ユダヤ教徒もキリスト教徒も、「神を信仰すればご褒美がもらえる」、つまり「天国に行ける」といわれています。

イスラム教でもっとも重要な経典は『コーラン』ですが、イスラム教では『旧約聖書』も『新約聖書』も認めています。

なぜかと言うと、先ず神はユダヤ教徒に神の言葉を伝えた(『旧約聖書』)。

ところが、ユダヤ教徒達は神の言葉を守らないので、今度はイエスに新たに神の言葉を伝えた(『新約聖書』)。

しかし、キリスト教徒もまだ神の言葉をきちんと守っていないので、神は最後にムハマンドに神の言葉を伝えた。

それが『コーラン』だというのが、イスラム教の中でのユダヤ教・キリスト教の位置づけなのです。

私たちは、ユダヤ教の神は「ヤハウェ」、キリスト教の神は「ゴッド」、イスラム教の神は「アッラー」だと思っています。

ところが、「ヤハウェ」はヘブライ語、「ゴッド」は英語、「アッラー」はアラビア語で、いずれも「神」を意味する言葉なのです。

つまり、同一の神のことをユダヤ教ではヘブライ語で「ヤハウェ」と言い、キリスト教では英語で「ゴッド」と言い、イスラム教ではアラビア語で「アッラー」とよんでいる訳です。

エジプトには、初期キリスト教に源を発するコプト教というキリスト教の一派があります。

コプト教の信者はみんなアラブ人で、いつもアラビア語でお祈りをするのですが、神のことを「アッラー」とよんでいます。

このことからも、アッラーとゴッドが同じ神であることを窺い知ることができます。

先月「ISISがリビアで誘拐したキリスト教徒のエジプト人21人を一斉に殺害したとする映像を15日インターネット上で公開した」と報じられましたが、この誘拐・殺害された人たちが、キリスト教の一派、コプト教徒でした。

ISISは殺害の理由として「エジプトでイスラム教への改宗を妨害され、コプト教会で拷問を受けた女性の報復だ」と主張していますが、コプト教会はこれを否定しています。

私たち日本人は、「八百万(やおよろず)の神」という言葉があることからも理解できるように、日本は自然のありとあらゆるところに多くの神々がいるとする多神教の国ですが、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、共に一神教です。

したがって、神と言えば『旧約聖書』の「創世記」に「初めに、神は天地を創造された」と書かれているように、天地を創造された神が一人だけなのです。

それぞれ呼び方は異なっていても、共に同じ神を信仰しているにもかかわらず、その信仰、さらにはその神の名のもとに「非道な殺人」が横行していることは、大きな疑問を覚えます。

果たして「信仰とは、人間を狂気に向かわせるものなのか」と。

もしそうだとすれば、「宗教はアヘン(麻薬)だ」と謗られても、返す言葉が見当たらなくなってしまいます。

私たちは、何らかのウイルスが体内に侵入すると、高熱を発してそれを除こうとします。

例えば、インフルエンザなどに感染すると、高熱が出るのはそのような体内メカニズムがはたらくからです。

ISISは、誘拐・殺害した人たちの映像をインターネット上に公開し、その衝撃映像などによっていわゆる「テロリストウイルス」に感染した人たちが、世界の各地から仲間に加わり勢力を拡大してきました。

感染した人たちの言動は、まるで高熱にうなされた重篤患者が、うわ言にも似た妄言を口にしているかのようにしか思われません。

本来、宗教とは悩み苦しむ人びとの心を落ち着かせ、穏やかな方向に向かわせるはずのものです。

平熱より低いのも問題ですが、やはり熱が高すぎると冷静な判断ができません。

曽我量深師は「浄土は言葉の要らぬ世界である 人間の世界は言葉の必要な世界である 地獄は言葉の通じない世界である」 の述べておられます。

平和を願う人びとの言葉に耳を傾けようとしないISISが築こうしてしているのは、どうやら言葉の通じない世界であるかのように思われます。

ISISが支配している地域では、宗教の名のもとに残虐な殺戮が行われています。

さて…、右の頬を打たれて左の頬を出したら、今度はその左の頬を思い切り足で蹴飛ばすようなテロリストウイルスに蝕まれているような人たちから、速やかにウイルスを完全除去してしまうようなワクチンはないのでしょうか…。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。