「ニホン」か「ニッポン」か

「日本」と書かれていたら、あなたは「にほん」「にっぽん」、どちらの読み方をされますか。

突然そう問われると、「あれ、どっちだろう…」と、少し戸惑ってしまわれるかもしれませんね。

なぜなら、日頃耳にすることのある「日本放送協会」や「日本銀行」「日本電気」などは「にっぽん」と読みますが、「日本航空」や「日本生命」「日本海」などは「にほん」と読むからです。

もしかすると、このように自国の読み方が二通りあるのは日本だけかもしれません。

では、どちらが正しいのかという、実は「にほん」と読んでも「にっぽん」と読んでも間違いではありません。

では、これまでどちらか一方に統一しようとする動きはなかったのかというと、やはり国名の読みが二通りもあるのはいかがなものかということで、1934年に当時の文部省臨時国語調査会が「にっぽん」に統一しようという決議を出しました。

ところが、政府に採択されなかったので、統一されないまま両方とも使われていました。

では、今日に至るまで依然としてあいまいなままなのかというと、2009年に政府が「にほん」と「にっぽん」の両方とも使われているので、「どちらかに統一する必要はない」という閣議決定をだしました。

そのため、現在は公式に「にほん」でも「にっぽん」でも良いということになっています。

ただし、地名や会社名などはそれぞれ「固有名詞」と決めているので、「にっぽん」あるいは「にほん」と、どちらか一方に読み方を決めています。

ところで、いつ頃から「日本」というようになったのかというと、記録によれば「日本」という言葉を最初に「国号」として使い始めたのは第40代天皇の「天武天皇(在位期間:673年3月20日~686年10月1日)」だと言われています。

天武天皇(大海人皇子)は、壬申の乱で大友皇子に勝利した後、強力な天皇制を構築し、各種制度や仕組みを組み立てはじめます。

当時の東アジアでは中国の唐が勢力を拡大し、周辺諸国に強い影響を及ぼしていました。

そこで、唐に対して自国の独立力を保つために国としての在り方や形を定める中で、「国号」という考えに基づき「日本」という国名を制定したと考えられています。

「日本」とは、国の位置が中国から見たときに日が昇る方角にあるため、「日の本の国」という意味である「日本」としたと思われます。

こうして「日本(にっぽん)」が国名になったのですが、その後、江戸時代に関東地方の方言で「にほん」と言う呼び名が生まれました。

同じ「日本橋」でも大阪は「にっぽん橋」、東京は「にほん橋」という読み方をするのはその名残です。

既に述べたように、2009年の閣議決定によって、「にほん」「にっぽん」いずれも公式に正しい国名ということになりましたが、ただし国際表記は「NIPPON」としているため、国の関連の名前の呼び名は「にっぽん」で統一されています。

そうすると、正式には「にっぽん」で、通称が「にほん」といった感じになるのでしょうか。

なお、このような使い分けは、最近になって始まったのではなく、どうも昔からあったようです。

安土桃山時代に来日したポルトガル人が作ったポルトガル語の辞典によれば、日常的な場では「にほん」といい、改まった場では「にっぽん」と発音されていたということが書かれているからです。

ところで、「日本」は英語表記では「ジャパン(JAPAN)」ですが、なぜそのように呼ばれるようになったのでしょうか。

ポルトガル語の辞典には「にっぽん」「じっぽん」「にっふぉん」という、当時の「日本」の読みがアルファベットで書かれているのですが、それが中国に渡り、中国では「ジッポン」と発音され、「ジッポン」が「ジパング」になり、やがて現在の「ジャパン」になったのだといわれています。

つまり、「ジャパン」の語源は、「ニッポン」という言葉が、「ジッポン」⇒「ジパング」⇒「ジャパン」と、まるで伝言ゲームのような形で伝わっていく中で変化していった結果ということになります。

国の呼び方が二通りあり、しかも日常的な場面と改まった場面で「にほん」と「にっぽん」を使い分けるというのは、いかにも本音と建前を使い分けると評される「日本的」な感じがすることです。

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