「いのちと平和」(前期)自閉症だった私

======ご講師紹介======

女優 たぬきさん

昭和二十九年東京生まれのたぬきさんは、八歳まで自閉症だったのですが、プロの演劇集団(東京)に預けられ、演劇を通して解放されます。

芝居と出会って三十八年、心の時代のニーズに応えた「ひとり芝居」を演じ続けられています。現在もひとり芝居をまじえた講演等でご活躍。

平和、人権、いのちになどをテーマにした芝居は、学校、市町村、企業等で幅広く用いられています。また、テレビやCMでもご活躍されています。
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私は先程ご紹介いただきましたように、東京の田舎で生まれました。

八歳まで今で言う自閉症ということで、母親は相当苦労したんじやないかなと思います。

私も四人の子どもの母なので。

それから、この年になって思うんですが、両親には本当に感謝しています。

 本日のテーマは「いのちと平和」ということで、平和といっても世界平和とかいろいろ大きな平和もありますけど、日々の中の、家庭の中で、また自分の心の中も常に平和だったらいいなという、そういう思いもあります。

 そんな自閉症だった私がどのようにして今みたいにお芝居ができるようになったのか、こうして生かされているのかということを申し上げますと。

母親がいろいろと心配しまして、「この子は将来きっと私より長く生きるだろう。

私が死んだ後どうなるのかな」と心配して、いろんなことを私にさせたようです。

私の方はといいますと、何に対してもあまり興味を示さなかったようですけれども、その中でお芝居を観に連れて行かれた時だけ、目がパチッとなったそうです。

それで、その劇団に…、ただし、そこは子どもなんか一人もいないプロの集団でした。

 その大人だけのお芝居の集団に預けられて、それがきっかけでお芝居が出来るようになり、自分のことが自分で出来るようになりました。

そして、お芝居が大好きになりました。

実は、こうやってしゃべっている時の方が、意外とドキドキしています。

舞台で演じている時は、意外と楽というか、楽しいというか、自分だけの世界に入ってしまう、そういう有り難い事になっているんです。

 それで、今日の『いのちと平和』というところに入るわけなんですけれども、その前になぜ私の名前が「たぬき」なのか。

キツネでもいいのではないかと思われる方がおられるかもしれません。

私はですね、先日こちらの方にお伺いした時に、先程のコーラスでも皆さんたいへん元気に歌ってらっしゃった『証城寺の狸』ですね。

あのお寺が、本当にあるということを聞かせて頂きました。

 非常に、懐かしささえ感じました。

というのはそのお寺は神奈川とおっしゃいましたかね。

確かそっちの方にあるとお聞きしたように覚えておりますが、私のふるさとの隣の方なんです。

私のふるさとというのは、たぬきがたくさん出るところでした。

多摩丘陵という所で、ご存じの方が多いようで安心しました。

そこはたぬきの巣なんですね。

それで私はたぬきと友達になりました。

 正直言って友達は人間よりたぬきの方が多かったので、それで大好きな「たぬき」という名前を芸名に頂きました。

それからずっとたぬきをやっております。

それと、あとひとり芝居等でいろんなものに化けますのでそういった意味合いもあります。

だからやっぱりたぬきの方がいいなって思うんです。

キツネだとなんかひどく化かすような気がしますので、ちょっとほっとできるのがたぬきということですね。