「いのちと平和」(後期)気づくと涙が…

本題の方に戻ります。

『いのちと平和』ということは頭ではすごくわかってます。

いのちが大事。

平和でなければ、ということですね。

 ちょうど六年前にある方と、ある本に出会いました。

鹿児島在住の方でその方は唐湊に住んでおいでです。

その方とお会いしました。

その方は十八歳で女子挺身隊として長崎に行かれまして被爆されました。

その方のご本を読ませていただき、お話を聞かせていただいて、戦争の現実ってこうなんだということを初めて知りました。

 今まで耳で聞いていた、あるいは本や教科書で読んでいたものとは違うということがすごくわかりました。

そしてそのお芝居を作らせていただいて、六年前に初めて原爆のお芝居から始めました。

二年間、そのお芝居をあちこちでさせていただきました。

 そうしますと鹿児島は沖縄に近いこともあって、たくさんの特攻基地があったんだという、そのご本を頂きました。

「これをどうか芝居にしてみてくれ」。

一人のおじちゃんからもらいました。

その本を読んでるうちに、気づくと涙が止まりませんでした。

そして取材が始まりました。

 最初は知覧に行きました。

そして、当時知覧高等女学校に行ってらした当時十五歳だったおばちゃんと会いました。

その方のお話は、真に迫るものがありました。

当時のことをまるで昨日のことのように覚えてらっしゃって、お話くださいました。

 また、特攻隊員の生き残りの方や、遺族の方、特攻基地のあったその場所の方々とも会いました。

そういう場所が十数カ所も県内にありました。

まだ回っていない所、見せていただいていない所もあるんですが、だいたいの所に行きまして取材させていただきました。

そして、四年前に初めて芝居をさせていただき、戦争って本当にたいへんだと思いました。

その時にぱっと頭に浮かんだのが、四人の子どもたちのことでした。

 もし今、戦争が始まったらこの子たちが真っ先にその戦争に行ってしまうのかな。

いやだ、と思いました。

それを芝居にしてどれだけの方に見ていただけるかわからないけれど、一生懸命して何か感じていただければ、若い方から年配の方まで見ていただければ、そう思って作らせていただいたお芝居を四年間、今年の八月十五日にもまた演じさせていただきました。

 今こうしている間にも、戦争でたくさんの命が失われていきます。

でも慣れていっちゃうんですね。

 自分の国の中での戦争ではないので。

イラクでは今でも毎日亡くなる方がいて、最初はびっくりしました。

イラクで二十人「も」亡くなった。

三十人「も」亡くなった。

でも毎日、新聞などで見ていると、そのうちに今日も「また」五十人。

今日も「また」十人。

怖いですね、慣れるということは。

 私はお芝居の中で、自分がそのお芝居に慣れていくのではなく、いつも初心の気持ちで、本当に見ていただく方に何が伝わるか、心から一生懸命させていただこうと思ってやっております。

子どもの時代を、その次の子どもの時代も、ずっとずっと。

私も母親ですから子どもたち、孫たち、そのまたずっと先まで平和であってほしい。

いのちの尊さを若い人たちほど知ってほしい。

というふうに思ってお芝居をしております。