「笑顔でくらす、願いに生きる」(下旬) たからのいのち

高校二年生の頃、私より背の高い同級生から身長のことで「君の身長何センチや」とバカにされたことがありました。

今の私なら一言、「それがどないしてん」と言ってやるんですが、当時の私には言えませんでした。

なぜなら、私も人に同じことをしてたからです。

自分より低い人に、「まだ俺の方が勝ってるわ」と優越感を持ってました。

そんな私が自分より背が高い人にバカにされて、「人間の値打ちと身長は関係ない」などと調子のいいことは言えません。

このことから分かると思いますが、される差別をなくすには、する差別をやめてたらよかったんです。

そうすれば「関係ないやろ」と言えたんです。

差別するから差別されるんです。

じゃあ、する差別とされる差別はどう分けるか。

人からされる差別は被差別といいます。

自分が自分にする差別。

自分をおとしめることを称して劣等感、コンプレックスといいます。

じゃあ人にする差別を何というか。

私は「加差別」と言っています。

被差別をなくすためには、加差別をやめていなければならない。

人に対して不当な分け隔てをしてるかどうかを省みてください。

「自分はこうやけど、あの人はもっと悪い」と、下見て暮らせの性根で生きてませんか。

それをしてる限り、自分自身が解放されないんですよ。

下見て暮らせの性根で生きてる人というのは、真ん中をくりぬかれて芯がない缶詰のパイナップルと一緒ですよ。

自分に芯がないので、他人と見比べて「あいつよりはましだ」と優越感を持つ。

そうではなくて、自分からしたいことを見つけて、どう生きたいかをはっきりさせなあかんのです。

自分の中に芯を、「自芯」を持ちましょう。

自分の人生は自分が主役。

隣の人の人生はその人が主役と、認め合うのが基本的人権の確立です。

人生の主役は自分だと胸を張っていれば、「あれよりはまし」という優越感にしがみつきません。

それを手放せる人間になった時、世の中からあなたの分だけ加差別が減るんです。

差別をなくすというのは、他の誰でもないあなた自身が抱いている加差別心をなくすことです。

ところが、誰もが自分を当事者とは思わへんのです。

自分のことは棚に上げてしまいます。

選挙に行ってない人が投票率低いと言う時代ですよ。

そんな時代だからこそ、人権というものを考えなあかんのです。

それを学ばしてもろうて、みんなが笑顔で生きていく世の中にした方が得でしょう。

なぜならば、あなたも私も無数の確率をくぐり抜けて、みんなに願われて生まれさせてもろうた「宝のいのち」です。

多くのいのちから願われて生まれたという誇りを大事にして、今度は願いに生きませんか。