「人間」という言葉は、私たちが人と人の間を生きる存在であることから出来た言葉だと

「人間」という言葉は、私たちが人と人の間を生きる存在であることから出来た言葉だと思われます。

それは、人はいかに他人にかまってもらいたい存在かということです。

つまり、私たちはいつも自分が誰かから見つめられ、気にしてもらい、話しかけられ、相手にしてもらっている、そのような何らかの関わりがないと生きられない存在なのです。

このような意味で、人間ほど孤独に弱い生き物はないのだと言えます。

学生さんに何が怖いか聞くと、その多くは「孤独が怖い」と答えます。

孤独は「寂しい」とか、「嫌だ」ということよりも、直感的に「怖い」と感じているのです。

そのような思いを端的に示しているのが「圏外孤独」という言葉です。

携帯電話の電波の届かない場所に行くと「圏外」の表示が出ますが、いつでも友だちと携帯電話やメールで繋がっていると安心である一方、メールも届かなければ、携帯電話も繋がらない「圏外」の状態になると、その途端不安になり怖くなるのだそうです。

そこまで極端ではないにせよ、やはり「圏外」にいる時に落ち着かない気分になる人は案外多いのではないでしょうか。

このように、人間は非常に「孤独」という状態に弱い存在であり、常に誰かにかまってもらいたい、あるいは自分が周りの誰かから見守られているということを求めている存在なのです。

人間として一番悲惨なことは、貧しさでも病気でもなく、自分はもう全ての人から見放されていると感ずることが、何よりも悲惨な状況だといわれます。

そうすると、周りの誰かに

「見放していないよ」

という呼びかけられることで、生きる勇気を持つことが出来るのだと思われます。

このように「孤独」を恐れる私たち人間の在り方から考えると

「あなたは私にとって本当に大事な存在なんだよ」

と言ってくれる人がいたり、そういう言葉に出会うとき、私たちは本当に自分がこうして生きて有ることに感動する心を持つことが出来るのではないでしょうか。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。