お墓参りは私たちの日暮らしの中で、身近な宗教的営みとして、多くの人々が大切に心がけていらっしゃることと存じます。
よく知られていますように、お墓や納骨堂には、先に亡くなっていかれた方々のお骨が納められています。
しかしながら、お骨そのものが仏さまや礼拝の対象となるのではありません。
また、故人がそこに眠っているというわけでもありません。
私たちの浄土真宗では、この命が終わると同時に、阿弥陀如来の願いのはたらきによってお浄土に生まれ、阿弥陀如来と同じ悟りを得て仏さまとならせていただくことを味わいとします。
したがって、亡き方々は、今は残された私たちを真実へと目覚めさる仏さまとして、常に私の上にはたらいてくださっているのだと言えます。
もちろん、だからと言って、決して遺骨やご先祖を粗末に扱ってもよいということを述べているのではありません。
亡き方を偲ぶ中に、脈々と受け継がれてきた私の命であること、そして限りある命として、いつかはこの私も亡くなっていく事実を、遺骨を形見として私自身が気づかせていただくことが大切なのです。
亡くなった方へ向けて私がお参りしているのではなく、私が喚ばれて、そして今こうして手を合わせ仏さまを拝む身にお育ていただいたこのご縁を、「おかげさま」として味わいたいものです。
阿弥陀さまに心から手を合わすことが、すなわちそのままご先祖を敬い感謝することになるのです。