ある寒い日の早朝。
その日は、祖母がデイサービスに行く予定でした。
いつもより早く起きた祖母は、洗顔のために自室より洗面所に行き、帰り際、足を滑らせて転んでしまいました。
家中に物が倒れたような音とともに、祖母の「痛い!」という悲鳴が響きわたりました。
家族中が心配する中、祖母は自らの力で起き上がることもできない状態で、誰もが
「骨折しているかも…」
と案じる思いがあったので、念のために救急車をお願いすることにしました。
時を置かずして到着した救急救命士の方が素早く手当をして下さり、担架に乗せられ車上の人になった祖母は顔面蒼白といった状態でした。
病院に着くとすぐに診察して頂き、レントゲン撮影の結果「大腿部骨折」の診断が出て、それから入院生活が始まりました。
「手術をして、金属2本を入れる方が回復が早い」
とのことでしたが、祖母は百一歳。
手術そのものが、心身ともに大変な負担であることは、考えるまでもなく明白なことでした。
術前、祖母の顔面は緊張で強張り、痙攣をおこしていました。
術後、認知症が入ったでのはないかと思わせる言動がみられるようになりました。
けれども、現在祖母は日を追うごとに元に戻ってきています。
「すごいよ!おばあちゃん」
と、いつも、いつも頭が下がります。
祖母は、若い頃から聴聞に励んでいたそうです。
その影響もあってか、私が身の周りの世話をした帰り際には、必ず両手を合わせて
「ありがとう!」
と私を拝んでくれます。
その姿は、なんともいえず美しく見え、私は温かい気持ちになります。
『合掌とは拾うことであり、丁寧な表現をすれば頂戴することで、仏様に手を合わせることは、お慈悲を頂くことである。
また、合掌の手の形は蓮の蕾を表している』
と、祖母が話してくれたことがありました。
今、祖母の中に仏様から頂いたお慈悲が蕾から花へと開かれたのでしょうか。
拝まれている私が、祖母の心の中に鮮やかに咲いている白蓮の花、その花を拝みに病院へと足を向けている思いがします。
「私の足を祖母が、白蓮の花へと向けさせ、繋がっているのだな…」
そんなことを味わう、今日この頃です。