『迷うことも 悩むことも 生きている証』

 私たちは、仕事でも恋愛でも健康でもお金でも人間関係でも、できればすべてを思い通りにしたいと思っています。

しかし、現実は…といえば、なかなかそうはなりません。

そこに人間の悩みや迷いも生まれてくるのでしょう。

とすれば、人間の悩みや迷いの原因は外側にあるのではなく、すべてを思い通りにしたいという私の中にあると言えます。

 親鸞さまは、私たちの人間の姿を

「行に迷(まど)い信に迷い、心昏(くら)く、識(さとり)寡(すくな)く、悪重く障り多きもの」

と表現されました。

 

「こうだ、と思ってやってみてもなかなかうまくいかない。

そうすると、自分の考えがいけないのだろうか、ダメなのだろうかと迷う。

よかれと思ってやったことが、人に思わぬ迷惑をかけたり悪い結果を生んだりする。

そうすると、自分の思ったこと、やったことについて絶えず迷うしかない。

そして、ちょっとものごとが上手くいくと、うぬぼれたり有頂天になったりする。

反対にちょっと思うようにならないと行き詰まって心が暗くなり落ち込んでしまう。

それが私たちの姿だ」

ということでしょうか。

「う〜ん、その通り!」

と、頷くほかありませんね。

まさに、悩むことは人間であることの、そして生きていることの証といえましょう。

 

「正信偈」

の中に

「仏・菩薩方は、私たちの見よいの世界に入って、林の木のようにたくさんある煩いや悩みの中に遊び、すぐれた能力をあらわして苦悩に応じて教化を示す」

という一節があります。

阿弥陀さまは、悩みや迷いのただ中にある私たちに寄り添い、私たちが大切なことに気付くよう、つねに働きかけていて下さいます。

迷いや悩みから逃げたり、避けようとしたりするのではなく、それを受け止める時に、私たちは大切なことに気付いていくのです。

また、自らを省みることができるのです。

 悩むこと、迷うこと、それは真理(教え)に出会う扉であり、私たちが深く豊かに人生を生きていくエネルギ−なのです。