日常語で
「飾ること」
を、仏教では
「厳飾(ごんじき)」
「荘厳(しょうごん)」
と表現し、使用されている漢字はいずれも
「かざる」
という意味を持ちます。
では、飾ろうとする行為に、どのような心がはたらいているのでしょうか。
一般に
「飾る」
という場合は、美しいものをより引き立たせたい、自分の生活を潤いのあるものにしたいなどの欲求がはたらいているように窺えます。
では、飾る品物やその情景はともかく、飾られるほうのもの、つまり飾るに値する相手とは何なのでしょうか。
大乗経典を代表するものに
『大方広仏華厳経』
という経典がありますが、その中では華をもって飾られるものは
「仏」
であると説かれています。
また
『妙法蓮華経』
では、華の中でも第一とされる蓮の華に仏の
「妙法」
が譬えられています。
それは、仏法に出遇わなければ、欲望のままに迷いの生を繰り返すほかない生き方の中をさまよい続けるのが私たちの本質だからで、自己を見つめ直し真の自覚を促してくれるはたらきをなす仏の教えこそ、私たちが荘厳すべき対象であることを教えています。
ともすれば、さまざまな物品で身を飾り、家を飾り、それで満足している者を、真の意味で荘厳すべきは何かを仏法は問いかけています。