「暑さ寒さも彼岸まで」
といわれます。
厳しい残暑も秋の彼岸になれば衰えて過ごしやすくなり、余寒も春の彼岸の頃には薄らいできます。
春分の日と秋分の日を中日として、それぞれ前後の七日間を彼岸といい、その期間中に行われる法会を彼岸会といいます。
彼岸会の風習は、インド・中国には見られず、日本のみ行われ、その起源は古く、聖徳太子の頃とも言われます。
盂蘭盆会と共に最も民衆化されて、人々の生活に溶け込んだ仏教行事のひとつです。
彼岸会は、日常の生活を反省して正しい精神生活を送るために、仏の教えを聞き、仏道精進の機会として生まれたものと思われます。
それは、春分と秋分には、日が真東から出て真西に没するので、その日没を観じて仏の世界、すなわち彼岸の浄土を念想し、浄土に生まれることを願ったことに由来します。
「観無量寿経」
の中に、
「汝および衆生、まさに心を専らにし、念を一処にかけて、西方を想うべし」
と説かれています。
中国浄土教の大成者・善導大師は、西方の日没の観想から説かれていることについて、それは
(1)人生の帰すべき方向を象徴的に教え示すものであり、
(2)日没はまた、浄土の方向のみでなく、人間の罪障の深重を知らしめ、
(3)かえって阿弥陀仏とその浄土の光明に、この身が照らされていることを知らされる、
と教えておられます。
日没の観想に、浄土という人生の拠り所を学ぶのです。
親鸞聖人は、彼岸、すなわち真実の浄土とは、仏の大悲の誓願によって完成された無量光明土、限りない光の世界であると明かしておられます。