『「占い」が気になって仕方がないのですが?』

 もはやブームを通りすぎて、完全に私達の生活に定着している

「占い」。

あなたも一度はその占いを信じて、その内容に一喜一憂したことがあるのではないでしょうか。

一言で占いといっても、手相占い、動物占い、血液型占い、星座占いetc…、あげていくとキリがないくらいにたくさんの種類がありますね。

テレビや雑誌、新聞でも毎日のようにとりあげられているほどの盛況ぶりです。

 この占いにはいろいろな種類がありますが、それと向き合う人々に共通していることは、自分にとってのメリットを求めていること、または占いでいわれる行為をすることで、嫌なことやデメリットを回避することだと言えます。

ところで、私たちはなぜ占いに頼り、その言葉を信じてしまうのでしょうか。

人生の岐路に立った時、進むべき道を決めるのは本来自分であるはずなのに、その大切なことを自分以外の他に求めてしまう、すなわち占いにゆだねてしまうのは、そのことを身近に伝え相談する相手がいない…、つまり心から信じられる仲間や信じ得る世界を見出せないあり方によると考えられます。

 確かに、占いの言葉に頼ることで、仮にその場はしのげることがあるかもしれません。

けれども、老・病・死と言った人生の根本問題に直面した時には、それらにどう向き合っていけばいいのでしょうか。

他人にはゆだねられない、誰にも変わってもらうことができないのが自分の人生です。

それを見通し、判断して行ける確かな眼(まなこ)を持つことがやがて必要になってくるのではないでしょうか。

 浄土真宗では

「深く因果の道理をわきまえて、現世祈祷やまじないを行わず、占いなどの迷信にたよらない」

と言われている通り、占いなどの迷信にはたよりません。

宗祖の親鸞聖人が関東へ行かれた時、関東では迷信呪術が生活に根付き、病気や苦しみも全て狐・狸などの憑き物によるものであるという価値観が常態化していました。

これをみた親鸞聖人は祈祷や占いによって病気が治るものではないということを説いてまわられたと伝えられています。

親鸞聖人が加持祈祷を否定されたのは、その苦しみあえぐ人々を想う慈悲の心からで、そのような苦しみの要因を自ら受け止め、かつ共感し、真実に目をむけることの中にこそ、何ものにもさまたげられることのない、真実の生き方があることを明らかにしようとされたからです。

かけがえのない、大切な1度きりの自分の人生です。

その人生を、他人の言葉(占い)に委ねてしまうのは寂しい気がしませんか。

上手くいってもいかなくても、自分が選びとってこそ、すべての歩みがあなたの人生を彩ることになるのです。