ところが、親鸞聖人はそのような端倪すべからざる高次の宗教的世界を構築しながら、どこまでも謙虚でした。
そして、それがまた多くの人々を惹きつけた理由でもありました。
親鸞聖人が八十歳を過ぎて、最晩年を迎えられたある日の出来ごとです。
『歎異抄』の編述者である唯円房が親鸞聖人のもとにやって来て、意を決した表情で質問をされました。
「往生の道は念仏しかないと信じ、念仏を申しているのですが、どうも踊躍歓喜の思いがわいてきません。
また、急いで浄土へ参りたいという気持ちにもなれません。
いったい、どうしたことでありましょうか」
これは、一般的な師の立場から見ると、いかにも穏当を欠いた質問です。
通常、そこで予測される常識的な答えとしては
「あなたの信が不徹底だからだ」
ということになると思われます。
ところが、親鸞聖人はそのような咎め立ての言葉は一切口にはされず、逆に若い唯円房の疑問に共感の意を示されます。
「自分もそのことをおかしいと思っていたが、唯円房よ、あなたも同じ思いであったか」
まことに意外な展開と言うべきですが、親鸞聖人はただ素直に自分の心情を吐露されたに過ぎません。
ついで親鸞聖人は、以下のようなことを語って聞かされます。
「けれども唯円房よ、よくよく案じてみると、天に踊り地に踊るほどに喜ぶべきことを、どうにも喜べないというのは、これでいよいよ往生は間違いないと思ってよいのであろう。
喜ぶべきはずの心を抑えつけ、喜ばせないのは、煩悩があるからだ。
しかるに、仏はあらかじめそのことを知っておられ、煩悩具足の凡夫と言っておられるのだから、仏の慈悲に満ちた救済の願いは、このような自分たちのためのものだったと改めて納得がゆき、いよいよ心強く思われる。
また、急いで浄土へ参りたい心になれないのも煩悩のせいであり、そう思うにつけ、私にはますます往生は決定していると思われてならない」
親鸞聖人のこの言葉は、すこぶる含蓄に富んでいます。
そこには、末法の凡夫の自覚、本願他力への確信、現世の生のあるがままの肯定…、今まで見てきた親鸞思想のエッセンスが集約されています。
そして、それ以上に注目すべきは、親鸞聖人が最晩年に至るまで人間的な内省を怠ることがなかったという、根本的な生き方の姿勢が巧まずして、このエピソードに表徴されていることです。
その生活態度、精神構造において、親鸞聖人は近代人の在り方と限りなく近かったように窺えます。