チリ鉱山での落盤事故における大救出劇は、世界中の人々が固唾をのんで見守ったことと思います。
およそ2カ月近くにわたり地下700mもの地中奥深くに閉じ込められた33人の方々。
どんなに恐ろしく、真っ暗闇の中でどんなに不安の日々であったことでしょう。
明かりも道も、一切が遮断され、そこに取り残される苦しみは想像を絶します。
今回の救出劇には、それ以前に事故発生の背景や鉱山労働者の就労体制等についても多くの批判がありましたが、そのことについてここでは触れないことにします。
待ちに待った救出の日。
「チチチ、レレレ、ビバ!チレ(チリ万歳)」
の大合唱が響く中、昼夜を問わず一人ひとりが地上に助け出される映像には、私も感極まるものがありました。
特に私は、その救出方法には一驚を喫する思いでした。
広大な鉱山という敷地の中にあって、33人が寄り添うように避難している700mもの地中奥深くの小さな空間に、真っ直ぐに一本の救出口をピンポイントで掘削できるその技術の高さには、あえて
「不可思議」
とでも言うべきでしょうか。
ふと、一つの物語を思い起こしました。
芥川龍之介さんの
「蜘蛛の糸」。
皆さんもよくご存じのお話しではないでしょうか。
『カンダタという一人の男、生前、悪事の数々をはたらいた大泥棒。
案の定地獄に堕ち、その苦しんでいる姿を極楽よりお釈迦様がご覧になっている。
しかしそんな彼もたった一つ、一匹の蜘蛛の命を助けたことがあった。
そのことからお釈迦様は、彼を何とか極楽へと導くべく一本の蜘蛛の糸を垂らす。
その糸に気付いたカンダタは喜び勇んでこれを登っていくのだが、しかし途中下を振り返れば、ただでさえ切れそうなか細い糸に、次々と地獄の者たちが自分の後についてきている。
切れてはたまらんとカンダタは、
「これは俺のための糸だ」
と後の者たちを振り落とそうとする。
その時、カンダタの握っていたところから糸はプツッと音を立てて切れ、カンダタもろともまた地獄へと逆戻り。
その一部始終をご覧になっていたお釈迦様は、大変悲しいお顔をされ、そしてまた歩いて行かれた』
今回のこととお話しの結末はもちろん違いますが、まさに物語の意図するところの実践がそこにはあるように感じます。
生命線とも言える一本のワイヤーは、地底と地上とを繋ぐ命綱。
ところが、33人の仲間たちはその一本を我先にと争うどころか、お互いを譲り合い、
「お先に」、
「どうぞ」
と、仲間を気遣う気持ちに満ちあふれていたと聞きました。
みんな揃って地上へという願いのもと、リーダーを中心にお互いが守るべき事項を忠実に守り、そしてそれはいつしか
「決まり」
ではなく、自ずとにじみ出る姿勢となって、みんなの心を大きく育んでいたのだと思います。
真っ暗闇。
けれどもそのような光のない中で映し出された人間(私)の実態。
まさに逆縁とも言える中で、彼らの目にはかけがえのないものが見えていたのではないでしょうか。