「死に学ぶ生の尊さ」(上旬)こんなはずでは

======ご講師紹介======

同朋大学教授 田代俊孝さん
==================

───────────────

(お知らせ)

先月号で、今月は漫才師 宮川ハナ子さんの講話を掲載することを予告しましたが、都合により過去の講話の中から未掲載の田代俊孝さんの講話録を掲載します。

また、ハートフル大学は平成22年度から年8回(前年度までは10回)の開講となりましたので、2月・3月・4月・9月・10月は過去の講話録の中から掲載いたします。

───────────────

私たちの苦しみの原因は、ほとんどが自分の価値観にとらわれているからです。

例えば

「いのちは長ければ長いほどいい。

延命がすべてだ」

という価値観を持っていませんか。

「長いいのちがよくて、短いいのちはだめだ」。

そういう価値観を持っているかぎり、どこまでいのちを延ばしても満足はないですよ。

かつて人生50年といったのが、今は80年ですね。

6割も伸びたのに、満足はしていないでしょう。

100歳まで生きても、150歳まで生きても

「こんなはずではなかった。

私はもう一度臓器移植をして、150歳まで生きるつもりだったのに、149歳で死ぬのは不本意だ」

と言うんでしょうね。

長いのがプラスで死はマイナスという価値観、

「死んだらおしまいだ」

という価値観にたつかぎり、毎日敗北の方に向かっているんです。

死は、マイナスと思っているから、敗北になってしまうんですね。

「こんなはずではなかった。

思い通りならない」

と、私たちが悩むのは、どうもその裏には、私たちが持っている価値観を絶対視しているところに苦しみが生じています。

例えば、福祉施設をよくして延命を勝ち得る。

それで、あたかも解決するかのごとくに思っていますよね。

けれども、どんなに良い施設に入っていても、みんな

「こんなはずではなかった」

と死んでいくんですよ。

この価値観を持っているかぎり、いくら延命を果たしても、医学が発達しても、どんなに素晴らしい施設ができても、

「こんなはずではなかった」

と死んでいかねばならないんですね。

私たちの持つ価値観を物差しと言ってもいいですが、その価値観、物差しをどこでひっくり返すかということですね。

そのひっくり返すチャンスは、いちのを見つめること、生とか死を見つめることにあります。

だいたい、私どもの悩みというのは、年をとっていく、老いていくことにあります。

それは、若いのがプラスで、老いがマイナスだという価値観を持っているからですね。

だから鏡を見て

「若いはずの私がどうしてこんなに白髪やシワが出来ているんだ」

とがっかりするんですね。

頭の中では、私はいつも若いと思っているんですよ。

でもこれは虚妄、妄想なんですね。

鏡に映っているは事実、如実なんです。

ありのままなんです。

「誕生の瞬間から着々と老いていく身だ。

50歳になれば白髪やシワが出来て当たり前だ」

と鏡を見てやっとわかるんです。

常ではない、無常ですよ。

鏡を見つめたときに初めて、老いて当たり前だったなと気が付けるんですよ。

そうすると、その老いが引き受けられる。

そこで若いのがプラスで老いがマイナスという価値観が破れるわけです。

病もいっしょです。

私の頭の中ではいつまでも健康だと思っていても、ちょっと入院すると

「健康な私がどうして入院しないといけないんだ」

となるんですね。