「三十三間堂棟木の由来」(下旬)5歳の幼児が柳の大木を動かす

節談というのは、そういった歴史があって、聞かせどころがところどころにあるものなんです。

誤解されている方がおられるかもしれませんが、節談説教といっても最初から最後まで節がある訳ではありません。

「ここだけは聞いてほしい」

という大事な部分に節が入っていくものなんです。

今回お話する節談説教は、京都の三十三間堂がどのような経緯で出来たということが骨子になる訳ですが、これは歌舞伎や文楽にもある狂言が土台になっています。

浄土真宗のお説教ではありますが、あまり念仏が強調されないので、浄土真宗のご門徒でなくとも聞きやすいのではないかと思います。

・節談説教

「三十三間堂棟木の由来」

〜三十三間堂の棟木となった柳の大木を巡る因縁の話。

前世から続く柳の木との因縁による後白河法皇の頭痛平癒のため、三十三間堂の棟木として柳の木が切り倒される。

その柳の化身であったお柳(りゅう)という女は死に瀕するが、夫の平太郎と5歳の息子緑丸(みどりまる)のため、最期に我が身をていして手柄を立てさせる。

柳は、二百人の男が牽いても全く動かなかったが、そこへ平太郎に連れられた幼い緑丸が柳の木を引っ張ると柳の大木は動き出す。

柳の大木はその後京都にて三十三間堂の棟木となり仏となった。

こどもに力があって柳が動いたのではなく、子どもに手柄を立てさせてやりたいという親の大願業力(だいがんごうりき)、増上縁(ぞうじょうえん)がはたらいたから、5歳の幼児が大木を動かすことが出来たということです。

そして、阿弥陀如来のお慈悲は私一人だけではありません。

「一切の衆生」

を必ず仏にするということが阿弥陀如来のご誓願なんです。

この柳の話では、山川草木(さんせんそうもく)全てが仏さまのお慈悲のお目当てであり、みんなことごとく救われると味わわせていだければ、阿弥陀如来のご苦労のほどがしみじみと感じられるのです。

「弥陀の本願と申すは、名号をとなへんものをば極楽ヘ迎へんと誓はせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候ふなり」

と親鸞聖人は阿弥陀如来をこのようにご讃嘆しておられます。

阿弥陀如来のお慈悲というのは、この私にまかせてくれれば必ず仏にするぞとお誓い頂いたことを喜ばせていただき、お念仏申すのが何よりも肝要ということです。

全ての人を仏にするとお誓いいただいた、そのお慈悲のほどを、この

「三十三間堂棟木の由来」

というお話からお味わいいただきました。