しかし、診断の結果は全て同じでした。
結局私は乳がんでしたし、おっぱいも取らなければなりませんでした。
大切な主人に八つ当たりして、泣き暮らしました。
そして、手術をして、右のおっぱいを全摘出したので、右胸はありません。
がんには0から4までのステージがあります。
0が最も軽く、4は末期症状です。
私の場合は3でした。
再発のリスクも高く、リンパへの転移も見られると聞き、どんどん落ち込んでいきました。
入院中は、部屋に小さなパソコンを置いて、インターネットで
「がんが治る方法」
「死なない方法」
をひたすら探しました。
そのときは正確な判断がつかないので、ありとあらゆる方法を試しました。
よくないことですが、びっくりするような食べ物も食べました。
また、世の中に嫉妬もしました。
元気な人、長生きなお年寄り、若い人、誰も彼もがうらやましくて、疎ましかったんです。
お医者さんは
「切れば治る」
と簡単に言いますが、乳房を捨てるということが、女性にとってどんな思いをするのかということも分かってもらいたいんです。
治療には抗がん剤を使いました。
私は年齢も若かったですし、転移も見られたので、最も強い抗がん剤を使ったんですね。
現われた副作用は、激しい嘔吐と倦怠感、寒気、そして脱毛です。
髪の毛がすべて抜けたんです。
女の私にとってはショックでした。
ドラマみたいに、お風呂場でごそっと抜けたときは
「いよいよ始まったんだな」
と実感して泣きました。
がんを治す治療なのに、あまりの辛さで、やはりこのまま死んでしまうんだなと考えました。
見た目も悲しい格好になり、とにかく泣いたことを覚えています。
私は死んだ後の自分がどうなるのかはよく分かりません。
でも、赤ちゃんだった息子のことが心配でした。
主人は大人ですから生きていくことが出来るでしょうが、息子が母親の顔を知らずに育っていくのが不安でたまりませんでした。
たとえ死んでしまっても、どうにか息子の成長を見ていたかったんですね。
病気になってからというもの、人生は終わったと思っていましたが、治療が終わり、がんの患者会に行ったとき、少し高齢のある患者さんに出会いました。
「あんた若いねえ。
がんの患者かい。
元気でいいねえ」
と言われたので、私は
「元気じゃありません。
私、来年死ぬんです」
と言いました。
すると。
強く背中をたたかれ
「あんたはさ、死ぬために生きてるの?
目標は死ぬことかい?
もったいないねえ、いのちが。
死ぬまでは生きてるんだから、もっと楽しい生き方をしなさいよ」
と言われたんです。
私はハッとしました。
それまでの私は、死ぬことを目標にして、どれだけ思い出を残せるかということばかりを考えていました。
ところが、彼女が私の目を覚ましてくれたんです。
そのおかげで
「生きなきゃ」
と気付かせていただきました。