「親鸞聖人の往生浄土思想」(1月中期)

では、なぜ法然聖人から念仏往生という教えを受けた親鸞聖人に、信心往生という仏道が開かれたのでしょうか。

そして、このように一見、明らかに異なる両者の思想が、なぜ同一だと言いうるのでしょうか。

この点は、今までも一応重視されてきましたが、その根本原因はあまり掘り下げてこられなかったように窺えます。

法然聖人と親鸞聖人との間に見られる思想の違いは、法然聖人に出遇われるまでの、親鸞聖人の求道にその原因があると考えられますが、このような観点からの考察があまりなされてこなかったことが、両者の思想の違いを明確化できなかったことの理由であると思われます。

そこで、先ず親鸞聖人はどのような状態の中で法然聖人と出遇われ、またどのような心持ちの中で法然聖人から教えを受けられたのかということについて考察してみます。

歴史的事実として誰もが知っているように、親鸞聖人は二十九歳まで、比叡山で天台浄土教、ことに源信流の念仏を修しておられたと考えられます。

この点に関して、親鸞聖人は

『教行信証』で、

「自分はまず双樹林下往生を求めたが結果を得られず、次に難思往生を求めたもののこの求道においても究極的な往生の道は得られなかった。

そのような中で、法然聖人の教えによって第十八願の世界に転入し、ついに難思議往生の道が開かれた」

と述懐しておられます。

双樹林下往生とは、念仏行を通して心を真実清浄にし、その心を因として臨終に往生を得ようと願う仏道です。

『教行信証』

の中では、この往生行を第十九願の意に重ねて、善導大師の

『観経疏』

の思想をここに導かれていますが、比叡山において実際に修行なさったのはむしろ源信僧都の

『往生要集』に説かれる

「正修念仏」

の念仏ではなかったかと推察されます。

ここにおいて親鸞聖人は、

「雑略観」

の念仏さえ成就することができなかったのです。