難思往生とは、これも
『教行信証』
では第二十願の往生義だとされています。
『阿弥陀経』「修因段」の
「一心不乱」
の念仏がそれで、まさしく阿弥陀仏の浄土を信じ念仏を称え、一心に往生を願って、臨終のとき、心がうろたえることなく往生を得ようとする念仏行です。
ただしこの場合もまた、比叡山においては
『往生要集』の
「臨終行儀」や
「念仏証拠」
の文に見られる念仏が修せられていたように窺えます。
「難思」とは
「思いはかること難し」
という意味です。
今その阿弥陀仏の浄土へ往生する確かさが求められています。
それに応えるためには、阿弥陀仏の浄土を信じる確固不動の心が成就されなくてはなりません。
ところが、親鸞聖人には、どれほど一心に念仏を称えても、必ず往生するという確証がどうしても得られませんでした。
双樹林下往生においては、真実清浄な心になるために、懸命なる念仏行を修せられたのですが、ついに念仏行によってその心を得ることは出来ませんでした。
それゆえに、難思往生を願われたのです。
阿弥陀仏の本願力を信じて往生を願うためには、確固不動の心がそこに確立されなければなりません。
ところが、この信もまた親鸞聖人には生じることはありませんでした。
ここに、行に破れ、信に破れて、まさしく苦悩のどん底に陥っておられる親鸞聖人のお姿があります。
比叡山において、親鸞聖人は決して怠惰な心で仏道を修されたのではありませんでした。
一つの真実を究極まで求めようとされる親鸞聖人の性格からすれば、双樹林下往生においても、また難思往生においても、その求道においては少しの妥協も許されず、懸命に行道に励まれたのです。
また、それゆえにこそ、行道の一切がかえって完全に破綻することになってしまったのです。
まず、真実心を得るための念仏行に挫折され、さらに浄土往生を信じて念仏されたのですが、そこに確固たる信はどうしても生じてはきませんでした。
したがって、法然聖人に出遇われた時の親鸞聖人は、まさに行に破れ信に破れて、絶望の淵に沈む、最も惨めな姿であったと言えます。