『煩悩無尽と雨が降る』

 身を煩い心を悩ます

「煩悩」

は、梅雨の雨の如く尽きることがありません。

浄土真宗の宗祖、親鸞聖人は

「凡夫(ぼんぶ)というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおくひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」

と示しておられます。

命、終わるその瞬間まで煩悩から離れることのできないのが私であります。

また、お念仏の教えを喜ばれ、念仏詩人ともいわれる木村無相さんの著書には、

「降るわ 降るわ 煩悩無尽と雪が降る  

 降るわ 降るわ 大悲無倦と雪が降る」

という詩があります。

冬の降り続く雪の如く、梅雨の降り止まない雨の如く煩悩と共にあるのが私の姿と知らされます。

その私を救いの目当てとし、大悲の心で常に私を照らすはたらきが阿弥陀さまのはたらきであると木村さんの詩から感じることができます。

煩悩と共にある私であったと知らされ、その私を常に案じるはたらきがあると、気づかされるとき自分自身を見つめ、生き方を考えさせられることであります。