丘一つむこうでは、鍛冶聚落の刀鍛冶たちが、戦国の招来を謳歌するように槌音を谺(こだま)させているし、ここでは、迷える民衆が、
「なむあみだぶ――」
「なむあみだぶ」
一人の念仏行者をかこんで、飢えた子のごとく、群れ寄って、救われようとしているのである。
「兄上、こちらへ来たら、少しは聞こえるかもしれませぬ」
宗業は、人々に押されながら、禅室の横へ迫った。
混雑するはずである。
禅室の庭は、二十坪ほどしかない。
柴垣も破れ、庭の内にも外にも、群集が、笠を敷いたり、筵(むしろ)をひろげたりして、いっぱいに座りこんでいる。
後ろの方にも、三重四重に人間が立っているのである。
八畳、六畳、小部屋が一つ。
わずか三間しかない禅室も、明かり障子をとり払って、縁や、土間の隅にまで、座れるだけの人間が座っていた。
その、真ん中の一室に、うわさの人、法(ほう)然房源(ねんぼうげん)空(くう)は、座っていた。
高壇もない。
金色の仏具などもない。
ただ、畳台を一じょう、少し奥のほうへ引き下げて、古びた経机を一つ置き、そう高くはないが、よくとおる声で「念仏往生義」の心を、子どもたちにも、老人にもわかる程度に、噛みくだいて話しているのであった。
「ウーム……」範綱は、何を感じたのか、宗業のそばで、うめいていた。
やがて宗業へ、
「あの僧、なるほど、異相£そなえておる。……慈円僧正は、さすがに、お眼がたかい」と、ささやいた。
兄は、相学に造詣があるので、そういわれてから、宗業も法然の横顔に注意を向け直した。
見るとなるほど、なかなか凹(くぼ)高(だか)な頭のかたちからして、凡僧とは異っているし、眸が、眉毛の奥に、ふかく隠れこんで、炯々(けいけい)と、射るものを、うける。
坐(い)ながらにして、社会の裏まで、人類の千年先までを見とおしているような、怖い光にも見えるし、ふと、またそこらにいる赤子にでも慕われそうな、やさしい眼ざしに、思われる時もある。
疑われるなよ人々
浄土はあり、浄土はやすし
源空が、九年の苦学に
得たるは一つにそうろう
ただ念仏往生の一義に
候なり
朗詠でもするように、法然の声は、澄んでいた。
さわぎ立っている無数のたましいの波が、やがてしいんと、法(のり)の声に、耳を傾けだしたころに、彼の声は、熱をおび、信念そのものとなって、ぐいぐいと、民衆をつかんで説く。
「――疑うな!」法然は、第一にいうのである。
「まず、念仏を先に称え候え。
――自分の有智、無智、悪行、善行、職業、骨肉、すべての碍障(げしょう)に阻められず、ひたすら、仏光に向かって、一念十念、称名あること浄土の一歩にて候ぞや」
――何事が起こったのか、その時後ろの方で、がやがや騒ぎ出す者があって、
「え、文覚が」
「文覚が、どうしたと?」
「行ってみい、行って見い」崩れだして、十人、二十人ずつ、わらわらと四条の方へ、駈け降りて行った。