小説 親鸞・乱国篇 唖の世 11月(6)

丘一つむこうでは、鍛冶聚落の刀鍛冶たちが、戦国の招来を謳歌するように槌音を谺(こだま)させているし、ここでは、迷える民衆が、

「なむあみだぶ――」

「なむあみだぶ」

一人の念仏行者をかこんで、飢えた子のごとく、群れ寄って、救われようとしているのである。

「兄上、こちらへ来たら、少しは聞こえるかもしれませぬ」

宗業は、人々に押されながら、禅室の横へ迫った。

混雑するはずである。

禅室の庭は、二十坪ほどしかない。

柴垣も破れ、庭の内にも外にも、群集が、笠を敷いたり、筵(むしろ)をひろげたりして、いっぱいに座りこんでいる。

後ろの方にも、三重四重に人間が立っているのである。

八畳、六畳、小部屋が一つ。

わずか三間しかない禅室も、明かり障子をとり払って、縁や、土間の隅にまで、座れるだけの人間が座っていた。

その、真ん中の一室に、うわさの人、法(ほう)然房源(ねんぼうげん)空(くう)は、座っていた。

高壇もない。

金色の仏具などもない。

ただ、畳台を一じょう、少し奥のほうへ引き下げて、古びた経机を一つ置き、そう高くはないが、よくとおる声で「念仏往生義」の心を、子どもたちにも、老人にもわかる程度に、噛みくだいて話しているのであった。

「ウーム……」範綱は、何を感じたのか、宗業のそばで、うめいていた。

やがて宗業へ、

「あの僧、なるほど、異相£そなえておる。……慈円僧正は、さすがに、お眼がたかい」と、ささやいた。

兄は、相学に造詣があるので、そういわれてから、宗業も法然の横顔に注意を向け直した。

見るとなるほど、なかなか凹(くぼ)高(だか)な頭のかたちからして、凡僧とは異っているし、眸が、眉毛の奥に、ふかく隠れこんで、炯々(けいけい)と、射るものを、うける。

坐(い)ながらにして、社会の裏まで、人類の千年先までを見とおしているような、怖い光にも見えるし、ふと、またそこらにいる赤子にでも慕われそうな、やさしい眼ざしに、思われる時もある。

疑われるなよ人々

浄土はあり、浄土はやすし

源空が、九年の苦学に

得たるは一つにそうろう

ただ念仏往生の一義に

候なり

朗詠でもするように、法然の声は、澄んでいた。

さわぎ立っている無数のたましいの波が、やがてしいんと、法(のり)の声に、耳を傾けだしたころに、彼の声は、熱をおび、信念そのものとなって、ぐいぐいと、民衆をつかんで説く。

「――疑うな!」法然は、第一にいうのである。

「まず、念仏を先に称え候え。

――自分の有智、無智、悪行、善行、職業、骨肉、すべての碍障(げしょう)に阻められず、ひたすら、仏光に向かって、一念十念、称名あること浄土の一歩にて候ぞや」

――何事が起こったのか、その時後ろの方で、がやがや騒ぎ出す者があって、

「え、文覚が」

「文覚が、どうしたと?」

「行ってみい、行って見い」崩れだして、十人、二十人ずつ、わらわらと四条の方へ、駈け降りて行った。