小説 親鸞・乱国篇 唖の世 11月(7)

水に映された月のように、澄みきっていた法話の筵(むしろ)も、風がたったように掻(か)きみだされた。

「なにや」

「なんじゃと」

振り向く。

起つ。

そして、次々に、「行ってみい」と、崩れては、走り去る。

もうこうなっては、何ものも移らない大衆の心理を法然は、知っていた。

「きょうは、これまでにしておきましょうぞ」

経机に、指をかけて、頭を、人々のほうへ少し下げた。

残り惜しげな顔もある。

また、なお何か、質疑をしている老人もあるし、

「ふん……」せせら笑って去る他宗の法師もあったりしたが、多くは、わらわらと、木

の葉舞いして、ふもとへ散った。

範綱と、宗業とが、そこへ降りてきたころには、六波羅大路から、志賀山道への並木へかけて、

「わあっ――」

「あれじゃ」人の波であった。

埃がひどい。

その中を、

「寄るなっ」

「凡下ども!」竹や、棒を持ったわらじばきの役人が、汗によごれながら、群衆を、叱ってゆく。

見ると――人間のつなみに押しもまれながら、一台の檻車(かんしゃ)が、ぐわらぐわらと窪の多い道を揺られてゆく。

 曳くのは、まだらの牛、護るのは、眼をひからした刑吏と雑兵であった。

 

「文覚文覚」追っても、叱っても、群衆はついてゆくのである。

その埃と、潮(うしお)に巻き込まれて、範綱、宗業のふたりも、いつか、檻車のまぢかに押されて、共にあるいている。

 丸太か石材でも運ぶような、ふつうの牛車のうえに、四方尺角ばかりの太柱をたて、あらい格子組に木材を横たえて、そのなかに、腕をしばられた文覚は、見世物の熊のように、乗せられているのだった。

 

 よろめくので、彼は、脚をふんばって、突っ立っていた。

 役人が、なにかいうと、

 「だまれっ」と呶鳴(どな)ったり、

 「ぶち壊すぞっ」と、檻車のなかで、暴れたりするのである。

 

 (手がつけられん)というように、役人たちが、見ぬふりをしてゆくと、

 「俺たちの、同胞(はらから)よ」文覚は、檻(おり)のなかから、いつもの元気な声をもって、呼びかけた。

 

 「この檻車は、東(あずま)を指してゆくのだぞ。

 日出る東の果てを指して――。

 俺は、伊豆にながされてゆく。

 だが、そこから必ず窮民の曙光(しょこう)が、遠からぬうちに、そし昇って、この夜の妖雲をはらうだろう」

 「しゃべってはいかん」刑吏が、ささらになった竹の棒で、檻車をたたくと、彼は、雷のような声で、

 「おれは、唖(おし)じゃないっ」

 「だまれ」

 「だまらんっ。

 ――この夜は唖になろうとも、この文覚の口は塞げぬぞ」