「であい」(下旬)今にも死にそうな枯れ葉が美しい

私にとって、お寺のこと、仏教は何なのかと言えば、それは酸素のようなものだと言えます。

例えば飛行機に乗っていて、何か異常があったら酸素マスクがおりてきますよね。

その酸素マスクは、まず自分が先につけて、その後に小さい子どもや周りの人につけてあげるのが安全説明のマニュアルです。

まず自分が酸素を吸い込んで元気になって、そして周りの人にも同じように元気になる酸素を吸わせるようにしていく訳ですね。

日常では、育児や両親の世話、仕事など、忙しさで自分を置き去りにしてしまうことが多いです。

だから、まず自分が仏さまの教えを聞いて、心の元気を頂いて、その喜びや安らいだ心持ちを周りの人にも伝えていく。

お寺は、私にとって酸素のようなライフラインになっていたんです。

日常で忙しくしながらも、私は息子2人を生んでから僧侶になり、そして娘も出産しました。

しかし、そんな折り、夫が45歳でガンにかかってしまいました。

長男は小学1年生、次男は4歳、長女は生後2カ月で、これから思っていた時期でしたからすごくショックでした。

当時僧侶になったばかりの私は、赤ちゃんの世話をしつつ、入院する夫の代わりに法事に行きました。

その後「教師」という僧侶の資格をとったりしましたが、何かあったらと不安で、全然楽しくありませんでした。

今では夫も快復しましたが、そのことがあって「死ぬ」ということを怖いと思うようになりました。

私たちは、死ぬことや年を取ること、そういう変化を恐れます。

でも、大自然に目を向ければ、高千穂は秋になると紅葉がきれいで、多くの観光客を魅了しています。

紅葉の何がそんなに魅力的なのかというと、それは赤や黄色、茶色に染まった枯れ葉です。

今にも死にそうな、落ちる寸前の枯れ葉が美しく感じられるんですね。

大自然では、春夏秋冬は全部美しいんです。

仏教では、人生には生老病死の苦しみがあり、老いも病も避けられないし、家庭も社会も変化することは止められないと説かれています。

しかし、変化するから悲しい心の傷も癒されるし、大自然の美しさのような

「今」の尊さにも気付かせてもらえるのではないでしょうか。

だから、老いないように、死なないようにと、止められない変化を無理やり止めようとするんじゃなくて、目に見えない阿弥陀さまのおはたらきにおまかせして、忙しい日常の中から

「今」の尊さを頂くのがいいんじゃないかなと思います。