こんな話があるのだそうです。
『無宗教』を自認し
「葬式無用論」を説いていた大学教授がいました。
しかし、あるとき、思いもかけない
「我が子の死」に出会ったのだそうです。
すると、それまで盛んに主張していた説はどこかに吹き飛んで、涙ながらに
「盛大な葬儀をしたい」と…。
故人の死を縁に営まれる葬儀というのは、後にのこった遺族・縁ある方々が亡き方の死を悼み、その遺徳を偲ばずにはおれないという心情から行われる儀式です。
「死を悼み、遺徳を偲ぶ」
ことは、自らの信仰とは切り離し得ない心のはたらきです。
亡くなった方が無宗教や自分と宗教が違ったとしても、『私』が故人を偲ぶ時、そのことは私の宗教観でしか偲ぶことはできないのではないでしょうか?
では、仏教ではどうかというと、インド古来の礼儀作法にならって、合掌礼拝することになっています。
したがって、他宗や他教の葬式や通夜に参列したときも、合掌礼拝の作法で、敬虔(けいけん)に哀悼の意を表すことが大切です。