侍たちが、跳びかかって、彼のきき腕をねじあげると、
「あっ、それがしに、なんのお咎めをっ」
蔵人は、もがいた。
清盛は、答えもしない。
筑後守貞能に向って、何事かいいつけていた。
貞能が去ると、左(さ)馬頭(まのかみ)行(ゆき)盛(もり)が呼ばれ、行盛があわただしく廊を駈けてゆくころには、もう右大将宗盛や、中将重衡などが、庭や、侍部屋に姿をあらわして、何事かさけんでいた。
一瞬のまに、西八条の邸(やしき)は、兵の殺気にみちていた。
甲冑(かっちゅう)、弓箭(きゅうせん)を、身によろって、またたく間に、兵に、兵の数が加わって、殖(ふ)えてゆく。
こういう空気はまた、清盛の最も好むことらしかった。
彼の眼は、別人のように燿(かが)やいて、奥の間を閉じこめた。
そこへ召された安倍資(あべのすけ)成(なり)は、二十騎ばかりを具(つ)れて、仙洞御所へ、急使として駈けて行った。
また、烏丸(からすま)の新大納言の宿所へも、これは、平服を着た身分のひくい者が、書面をもって、使いに行った。
大納言は、何食わぬ顔をして、真夜半の火の手を自身の住居(すまい)から待っていたのである。
そこへ、相国からの使いが来て、
(即刻、お出を乞う)とあるので、
「ははあ、これは、山攻めの結構を聞いて、相国が、法皇を申し宥(なだ)めようとする肚(はら)とみえる」
そうつぶやいたことだった。
行かなければ、疑われる。
大納言は、常のとおり、布衣、冠をたおやかに着なして、鮮やかな輦に乗った。
雑色、牛飼、侍十人以上をつれて、すぐに、西八条へと行った。
「や?」
夜の巷は、真っ赤だった。
諸方に、篝(かがり)火(び)が立っている。
暗い小路(こうじ)には、松明(たいまつ))がいぶっていた。
道に捨てられてある武器や、人間の首や、胴などを、幾つも見た。
「あらわれたか」
と、大納言は、狼狽した。
そして、
「返せっ。輦(くるま)を、もどせっ」
にわかに、さげんだ。
しかし、もうそこは、五条の平家の庁(ちょう)の近くもあったし、いつのまにか、辻々からついてきた甲冑の兵が、道の前後を取り巻いているのであった。
「新大納言の卿(きみ)におわすか」
兵の中から、一人の将が、薙刀(なぎなた)の柄(え)をもって、簾(みす)を刎(は)ねあげた。
大納言は、おののいて、虚勢も張れなかった。
武将は、
「それっ、お迎え申せっ」
「あっ――」
と、兵は、輦にたかって、牛を打ち、轅(ながえ)をつかみ、また輦(くるま)の後を押して、
「牛頭(ごず)、馬頭(めず)だ」
「地獄車だ」
「押せっ」
「曳けっ」
わあっと、声を揚げながら、輦のまま、西八条の邸の中門の際(きわ)まで、ぐわぐわらと引っ張りこんだ。
武者の手が、大納言を地に引き摺り下ろした。
「縄をかけまするかっ」
問うと、廊のうえで、
「縄目には及ぶまい」
清盛の声である。
大納言の顔いろはもう生きた人間のようではなかった。