親鸞・紅玉篇 5月(4)

【不作法者め!】声には、出さなかったが、範綱は、はたと、睨みつけた。

はっと、介は、自分の腕くびに、かみついて、顔をうつ伏せた。

介を、叱りはしたものの範綱自身こそ、瞼(まぶた)のものが、あやうく、こぼれそうだった。

【凡夫――】われを嘲(あざけ)りつつ、彼は、つい眼をそらしていた。

あの、小さい頭がと想像すると、たまらないのである。

――見たら、泣けてしまうだろうと思った。

すると、

「ご得度の式、すみました」

と、式僧がいった。

見ると、十八公麿の頭は、もう、あのふさふさしている若木の黒髪を剃り落して、瓜のように、愛らしい青さになっていた。

「もしっ……僧正様ッ、おねがいでござりますっ」

突然、一人の男が壇の前へ飛びだしてきて、べたっと、手をつかえた。

「あっ」

範綱は、驚いた。

僧正の足もとへ来て、泣いているのは、介であった。

「ぶしつけなっ、退がれっ」

範綱が、叱りつけると、

「あ、いや」

やさしく、僧正はささえて、

「なんじゃ」

と、介へたずねた。

介は、肩をふるわせて、

「お願いの儀、ほかではござりませぬが、永年、お乳の香のするころより、お傳(もり)の役、いたしました私、今、その和子様が、御得度あそばしますのを、なんで、このままよそにながめて、俗界にもどられましょう。

……どうぞ、いやしい雑人ではござりますが、この私も今宵の式のおついでに、お剃刀をいただかせて、くださいませ」

「ふーむ、そちも主に従って僧籍に入りたいというのか」

「はい」

「しおらしいことを」

僧正は、にこと、うなずいて、

「主従の情、そうもあろう――六条どの、この者の望み、かなえて取らせたいが、おもとには」

「さしつかえござりませぬ」

「では」

と、僧正は、ふたたび剃刀を執った。

花は、夜の風にのって、御堂の廊に、雪のように吹きこむ。

音誦朗々(おんずろうろう)――衆僧の読経もまたつづく。

【主従は三世――】と、介はうれしかった。

十八公麿は、もう、成りすました道心のように、彼の、剃られてゆく、頭をながめていた。

いっしゅ、またいっしゅ。

香は、春の夜を、現世を、夢ぞと教えるように立ちのぼる。

式は、済んだ。

白衣円顱(びゃくええんろ)のふたりのために、僧正は、法名をつけてくれた。

十八公麿は、範宴少納言。

介は性善坊。

「ありがどうぞんじまする」

二人は、手をつかえて、寒々とした頭を下げた。

その夜――更けてから。

キリ、キリ、と牛車の轍(わだち)は、ただひとり、黙然と、袖をかきあわせてさし俯向いた六条の範綱をのせて、青蓮院から粟田口の、さびしい、花吹雪の中を、帰ってゆくのであった。