【不作法者め!】声には、出さなかったが、範綱は、はたと、睨みつけた。
はっと、介は、自分の腕くびに、かみついて、顔をうつ伏せた。
介を、叱りはしたものの範綱自身こそ、瞼(まぶた)のものが、あやうく、こぼれそうだった。
【凡夫――】われを嘲(あざけ)りつつ、彼は、つい眼をそらしていた。
あの、小さい頭がと想像すると、たまらないのである。
――見たら、泣けてしまうだろうと思った。
すると、
「ご得度の式、すみました」
と、式僧がいった。
見ると、十八公麿の頭は、もう、あのふさふさしている若木の黒髪を剃り落して、瓜のように、愛らしい青さになっていた。
「もしっ……僧正様ッ、おねがいでござりますっ」
突然、一人の男が壇の前へ飛びだしてきて、べたっと、手をつかえた。
「あっ」
範綱は、驚いた。
僧正の足もとへ来て、泣いているのは、介であった。
「ぶしつけなっ、退がれっ」
範綱が、叱りつけると、
「あ、いや」
やさしく、僧正はささえて、
「なんじゃ」
と、介へたずねた。
介は、肩をふるわせて、
「お願いの儀、ほかではござりませぬが、永年、お乳の香のするころより、お傳(もり)の役、いたしました私、今、その和子様が、御得度あそばしますのを、なんで、このままよそにながめて、俗界にもどられましょう。
……どうぞ、いやしい雑人ではござりますが、この私も今宵の式のおついでに、お剃刀をいただかせて、くださいませ」
「ふーむ、そちも主に従って僧籍に入りたいというのか」
「はい」
「しおらしいことを」
僧正は、にこと、うなずいて、
「主従の情、そうもあろう――六条どの、この者の望み、かなえて取らせたいが、おもとには」
「さしつかえござりませぬ」
「では」
と、僧正は、ふたたび剃刀を執った。
花は、夜の風にのって、御堂の廊に、雪のように吹きこむ。
音誦朗々(おんずろうろう)――衆僧の読経もまたつづく。
【主従は三世――】と、介はうれしかった。
十八公麿は、もう、成りすました道心のように、彼の、剃られてゆく、頭をながめていた。
いっしゅ、またいっしゅ。
香は、春の夜を、現世を、夢ぞと教えるように立ちのぼる。
式は、済んだ。
白衣円顱(びゃくええんろ)のふたりのために、僧正は、法名をつけてくれた。
十八公麿は、範宴少納言。
介は性善坊。
「ありがどうぞんじまする」
二人は、手をつかえて、寒々とした頭を下げた。
その夜――更けてから。
キリ、キリ、と牛車の轍(わだち)は、ただひとり、黙然と、袖をかきあわせてさし俯向いた六条の範綱をのせて、青蓮院から粟田口の、さびしい、花吹雪の中を、帰ってゆくのであった。