弥陀(みだ)は、人間になし難いことを強(し)いた。
五戒の約束がそれである。
求法(ぐほう)の僧(そう)衆(しゅう)が、最も苦しみ闘うのは、そのうちでも「女色禁」の一戒であった。
女に対して、眼をつぶることは、生れながらの盲人(めくら)でさえもなし難い。
肉体の意慾を、押しふせ、押しふせ、ある年月までの行(ぎょう)を加えてしまうまでは、たいがいな僧門の若者は、この一戒だけにも、やぶれてしまう。
しかも、この至難な行(ぎょう)をのりこえて、聖(ひじり)とか、高僧とかいわれるほどの人は、そのほとんどが、ふつうの人以上に、絶倫な体力や精根の持ち主であるので、その行のくるしいことも、人以上なものである。
それはちょうど、一刻、一日ごとに、血まみれな心になって磨いてゆく珠玉(たま)にひとしい。
磨けば磨いてゆくほど愛着のたかまるかわりに、ひとたび手から落としてしまえば、十年の行も、二十年の結晶も、みじんに砕(くだ)けて、その人の求法生活は、跡かたもないものになる。
――何で慈円僧正のような人がそんな愚をなそうか、僧正はすでに珠(たま)である、明朗と昨日の域(いき)をとうにせん脱(せんだつ)した人格は、うしろから見ても、横から見ても、「禁慾の珠玉」そのものである。
そのすずやかなせん脱のすがたは、歌人としては、随所に楽しむ――という主義の下(もと)に、人生を楽しみあそび、僧としては、浄土を得て、法燈の守りに、一(いち)塵(じん)の汚れもとめない生活をしている。
いかに、さもしい俗人の邪推(じゃすい)をもって僧正の身のまわりをながめても、僧正に、それ以上なものがなければ淋しかろうとか、不幸だろうとかいうようなことは考えもつかない沙汰である。
さまでの僧正を、なおも強いて穢(きた)なき臆測で見ようとする人々には、よろしく、僧正と共に青蓮院に起臥(おきふし)してみるがよい。
いかに、僧正が女性(にょしょう)のない人生をとおってきても、そこに少しの淋しさも不自然さもなく、いる所に楽しんでいるかの姿がきっとわかるに違いない。
範宴は、縷々(るる)として、以上のような意味を、並いる人々へ説いた。
そして、
「若輩者(じゃくはいもの)が、おこがましい弁をふるいたてましたが、お師の君に、あらぬ世評のふりかかるは、弟子の身としましても、口惜しい儀にぞんじます。何とぞ、煌々(こうこう)たる天判(てんぱん)と、諸(しょ)卿(きょう)の御明断とを、仰ぎあげまする」
といって、ことばを終った。
僧である以上、さだめし難しい仏典をひきだしたり、口賢い法語や呪文(じゅもん)で誤魔化すだろうと心がまえしていた人々は、彼の人間的な話に、
(正直な答弁である)と感じたらしく、その間に、口をさし挟む者がなかったばかりでなく、誰にもよく、僧正の人格というものが得心(とくしん)された。
主上は、御簾(ぎょれん)のうちへ、関白基通(もとみち)を召されて、何か仰せられている御様子であった。
基通は、退がって、
「範宴に料紙と硯(すずり)――を」と、側の者へいいつけた。
料紙台に、硯と、そして、主上からの御題(ぎょだい)が載って、範宴のまえに置かれた。
※「せん脱(せんだつ)」=古い習慣や束縛(そくばく)からのがれること。俗事にかまわないこと。セミのぬけがら。