やがて、鷹司(たかつかさ)卿(きょう)が、
「使僧」と、よんだ。
「は」範宴は顔をあげた。
「おもと、何にても師の慈円にかわって、答え得るか」
「師のお心をもって――」
「うむ」うなずいて少し膝をすすめ、
「さらば問うが、不犯(ふぼん)の聖(ひじり)たる僧正が、あのような艶(なま)めかしい恋歌を詠み出でたは、そも、どういう心情(こころ)か」
「僧も人間の子にございますゆえ――」
「なんじゃ」大胆な範宴の答えに、諸卿は色をなして、
「――では、僧正も人間の子なれば、女犯(にょぼん)あるも、恋をするも、当りまえじゃと、おもとはいうか」
「さは申しあげませぬ」
「でも今、僧正も人間の子なればと、返答したではないか」
「いかなる聖(ひじり)、いかなる高僧といえ、五慾煩悩(ぼんのう)もなく、悪業(あくごう)のわずらいもなく、生れながらの心のまま白髪になることはできません。
大地はふかく氷を閉ざしても、春ともなれば、草は萌(も)え、花は狂う。
その花もまた、永劫(とわ)に散らすまいとしても、やがて、青葉となり、秋となるように。
――これを大地の罪といえましょうか、大いなる陽の力です、自然の法則です」
「さような論は、云い開きにはならぬ、いよいよ、僧正の罪を、証拠だてるようなものじゃ」
「しかし」範宴の頬には若い血が春そのもののように紅(あか)くさした。
「しかし何じゃ」
「釈尊は、人間が、その自然の春に甘えて、五慾におぼれ、煩悩に焦(や)かれ、あたら、永劫(とわ)の浄土を見うしのうて、地獄にあえぐ苦患(くげん)の状(さま)を、あわれとも悲しいこととも思われました。
さらば弥陀(みだ)は第一に、五戒を示し、五戒の条のひとつには、女色を戒(いまし)めておかれたのです」
「それを犯した僧正は堕落僧じゃ、遠流に処して、法門の見せしめとせねばならん」
「僧正の身はご潔白です。
あのお歌が、若々しい人間の恋を脈々とうたっているのでもわかります。
密(ひそ)かに、女犯(にょぼん)の罪をかさね、女色に飽いている人間ならば、あのお年齢(とし)をもって、あのような若々しい歌は詠(よ)み出でられません。
もう、人間の晩秋に近い僧正の肉体です。
それなのに、まだあのような歌が詠まれるのは、いかに、僧正が、今日もなおお若いお心でいるかという証拠であり、そういう肉体を老年まで持つには、清浄な禁慾をとおしてきたお方でなければならないはずです。
ことにまた、ご自身に、お疑いのかかるような後ろぐらい行状があれば、なんで、情痴(じょうち)の惻々(そくそく)と打つような恋歌などを、歌会の衆座になど詠みましょうか。
もっと、聖(ひじり)めかした歌を詠んで、おのれの心をも、人の眼をも、あざむこうとするにちがいありません」
範宴はすずやかにいって退(の)けた。
ことばの底には、人を打つ熱があった。
彼は、僧の禁慾がいかに苦しいものか、自分にとって尊いものか、現在の自分に比べても余りに分かりすぎている。
彼は、師の弁護をするという気持よりも、いつか自分の行(ぎょう)の深刻な苦悩に対して、思わず涙を流していっているのであった。