一日ごとに春は熟れてくる。
範宴は狂わしい眼で外を見た。
聖光院の庭は絢爛(けんらん)な刺繍(ししゅう)のようだった。
連翹のまっ黄いろな花が眸に痛い気がする。
木蓮(もくれん)の花の白い女の肌にも似た姿が意地わるい媚(こび)のように彼には見えた。
何を見ても触れても、甘酸(あまず)っぱい春の蜜を湛(たた)えている自然である。
蜂も、鳥も、猫も、恋をしていた。
(人間もその自然の下(もと)にあるものなのに)範宴は自分に宿命した自分秘密を、時には、不幸な胎児(たいじ)のように不愍(ふびん)に思うことがあった。
絶対に、この世の光を浴(あ)みさせることのできない秘密の胎児――生れでる約束をもたずに出命した暗闇(くらやみ)の希望――こういう煩悶(はんもん)に彼は打ち勝とうとすればするほど人格の根底から崩(くず)されてしまうのだった。
「玉日……」
思わず口の裡(うち)でこう呼んでみて、せめてもの心(こころ)遣(や)りにすることすらあった。
熱い息の中で、
「玉日……」
と、声なくいってみるだけでも幾らかの苦悶のなぐさめにはなる気がしたが、とたんに、自己のすがたを振向いて、聖光院門跡(もんぜき)範宴という一個の人間を客観すると、
「ああ……」
手を顔におおって潸然(さめざめ)と御仏のまえに罪を謝したくなる。
つよい慚愧(ざんき)と、自責(じせき)の苔(しもと)に、打って打って打ちぬかれるのだった。
誰か、杖をあげて、(この外道(げどう))と肉の破れるほど、肉体がいまわしい空想や欲望を抱(いだ)く知覚を失ってしまうほど、打ちすえてくれる人はないものかと思う。
彼は、泣いて、仏陀(ぶつだ)のまえへ走った。
そして、ほとんど狂人のようになって誦(ず)経(きょう)した。
また、一室にこもって凝坐(ぎょうざ)した。
(だめだ)脆(もろ)くも、そういう叫びが雑念(ぞうねん)の底からもりあがる。
磯長(しなが)の太子堂に、叡山の床(ゆか)に、あの幾年(いくとせ)かの苦行も今はなんの力のたしにもならなかった。
瞼(まぶた)をとじれば瞼の中に、心をしずめればその心の波に、空を仰げば空の藍(あい)の中に、玉日の姿が見えて去らない。
「いっそ、僧正におうち明けして、僧正のお叱りをうけようか」
とも考え、また、南都の覚運僧都(そうず)のもとへ行って、ありのままに訴えてみようかとも幾たびか思い悩んだが、聖光院の門跡という地位がゆるさないことだし、彼自身の性格としても、自分の力で解決しなければならない問題だと思うのであった。
そして、この苦悶を克服することが、自分を完成するかしないかの境目であるとも考えていた。
いかにして、精神が肉体に克(か)つか、信仰が肉体を服従させきれるか、彼は、二十八歳の青春と旺(さかん)なその血液とを、どうしたら灰のような冷たいものにさせてしまうことができるかということにこの三月(みつき)を懊悩(おうのう)の裡(うち)に暮していた。