峰阿弥(みねあみ)がたり 2014年5月22日

僧正が戯(たわむ)れでもいわなければ誰も座を和(やわ)らげる者はなかった。

姫のひとみは眩(まば)ゆいものの前にあるように、絶えず俯(うつ)向(む)きがちであるし、範宴も口をきかないのである。

ことに、かんじんなその主客が酒をたしなまないので、禅閤は興のしらけるのを懼(おそ)れるように、しきりとみずから銚子を取って杯に心づかいをしたり、世事のうわさなどを持ち出して話題を賑わせたりしていたが、やがて側の者に何かささやくと、その家臣は館のどこからか一人の盲目法師の手をひいて、この客殿へ伴(ともな)ってきた。

「これは近ごろ名高い琵琶(びわ)の上手で、峰阿(みねあみ)弥という法師です」

禅閤が、紹介(ひきあ)わせると、盲目の峰阿弥法師は与えられた席へ琵琶をかかえてもの静かに坐って、黙然(もくねん)と頭(かしら)を下げた。

もう五十に近かろう、長い眉毛(まゆげ)には霜がみえる、深く窪(くぼ)んでいる眼は針のように細い線があるだけだった。

盲人の癖として、首を少し傾(かし)げたまま、客の容子(ようす)や灯りの数や自分の位置がどういう辺りにあるかを勘で見ているらしい面持ちであった。

「峰阿弥といわれるか」

僧正がたずねると、

「はい」声のほうへ頭(かしら)を向けて、

「かような賢人のおん前に召されまして、冥加(みょうが)のいたりでございます」

「酒(ささ)はのむか」

「むかしは過ごしましたが、このごろは……」

「眼はすこしも見えぬようじゃな」

「業(ごう)の報(むく)いでございましょう」

「幼少から?」

「いいえ十年ほどまえからでございました。いかなる病毒をうけましたやら、ほとんど一夜のうちに眼がつぶれ、その当座はまったく世の中が闇になったように思いましたが、馴るるに従って不便もわすれ、いささか好む琵琶を弾(ひ)いて生業(なりわい)といたし、こうして花に月に、風のままに召さるる所へ参じては御宴(ぎょえん)の興をたすけ、独りになれば琵琶を妻とも子とも思うて暮らしておりますと、いっそ、眼が開(あ)いて五慾の煩悩(ぼんのう)にくるしんでいた時よりは、心も清々(すがすが)としてよいように存じまする」

「ははは、ようしたものよのう」

禅閤は、範宴へ向って、

「何ぞ曲をのぞんでやってください、唐曲(とうきょく)も弾(ひ)くし、平家も詠(うた)う」

峰阿弥は、手を振って、

「なかなか、唐曲などは」と謙遜(けんそん)した。

範宴は、曲を聴くことものぞましいが、もっと、この法師の身の上やまた眼が見えぬ人間の生活が訊きたかった。

だが峰阿弥は、客が倦(う)まぬうちにと思ったか、琵琶をかかえ直して、はやくも絃(いと)を調べにかかる。

四絃(しげん)のひびきがすると、端居(はしい)していた侍たちだの、次の間にいた童女(わらべ)や召使までが、席へ近くににじり寄って皆耳をすましていた。

※「四絃(しげん)」=四本の糸を張った楽器の意から琵琶(びわ)のこと。また、四絃琴の略。