「笑顔一つ」(中旬)有り難いもんだ

一方で住職を継がなあかん。

ところが仏教が嫌で勉強してないでしょ。

下地がない。

まともな準備はできてない。

人間は人間で、もうすっかりひがんでたからろくでもない人間、取り柄なんてどこにもなかった。

しかし、住職になる以上、檀家の人たちに「これだけは」というものを一つは持ちたいと思った。

学問はだめ、いまさら間にあわん。

性格的にもだめ、とっても住職の資格はない。

ふとおやじの顔を思い出した。

実をいうと、うちのおやじというのは男っぷりよかったんよ。

そらぁ村の人には定評があった。

うちのお寺のご院さんの顔を見たら、どんな嫌なことがあってもスッとする、ホッとする、安心すると。

つまり笑顔よしだったんですんよ。

私らでも一ぺんも怒られたことない。

あれだけは取り柄でしたもんね。

そこに私は眼を付けた。

他の真似はできん、しかしニコニコ顔、やさしい笑顔だけは無理したらできんことない、こう思うたんです。

明くる日から変わりました。

まるで顔に面を張りつけたように。

村の中だけでは、どんな嫌な腹が立つことがあっても笑顔を崩さんかった。

いつもニコニコ。

ニコニコ顔を十年もしたら子どもがあだ名をつけた。

「ニコニコマーク」。

そしたら大人たちが言い出したよ。

「うちのご院さんにはかなわんわ。なんぼ怒鳴っても、なんぼぼろくそに言うても、顔色一つ変えんとニコニコ笑うてけつかる。こないなると後は楽やね。」

ところがまた事件が起こるんです。

昭和四十四年、私が四十二か三の年でした。

本堂を建て直し、その落慶法要にご門主が見えることになった。

ひと月も前から、みなワイワイ言うて準備する。

一生に一ぺんの大きな事業ですもん。

そして当日、朝三時ごろ、おやじが

「お前疲れてるから、わしがご門主をお迎えに行ってくる。ちゃんと留守しとれよ」

と言うから寝ました。

お着きになるのは十時。

ふと起きて二階の本堂へ上がった。

大きな法要やから内陣のお荘厳に落雁(らくがん)というお干菓子を三対積み上げていた。

ひょっと見たらびっくり仰天。

その三対全部つぶれとった。

積み上げ方が悪かったんか、ネズミでもやってきてつぶしたのか。

顔色は変わる、体はガクガクする。

あと二時間くらいでご門主がおみえになる。

あれ一対積むのに一時間から二時間かかる、間に合うはずがない。

それでも半分泣きながら新聞紙持ってきて降ろして、たとえ一対でもと思うて積み初めた。

そこへ隣のおっさんが上がって来よって

「ご院さん。お前何してんねん今ごろ。間に合うと思うてんのか」

言うて怒鳴りまくってね。

あんまり大きい声やったから、下にいた総代や世話人全部上がってきた。

ところがことがこと、事態が事態。

取り返しがつかん、間に合わん。

しかも日ごろの業績が悪いとか、いつも昼過ぎまで寝てるからとか、さんざんつるし上げられてね。

私も文句の言いようがない。

でも、その前から

「いつこの寺を飛び出したろうか、いつ逃げたろうか」

という思いがあったから、

「そんなに怒鳴りまくらんでも、おれはわざとしたわけやないし、そんなにむちゃなこと言わんでも。しょうないやないか、どないせ言うねん」

とのどまで出てきた。

かと言って上から十人くらいが囲んでるんで逃げるに逃げられん。

もうたまらんようになって

「こんな寺やめたるわい、どないでもさらせ」

言うてバーンと立ちあがりかけたんよ。