世の中に「あたりまえ」ってことあるのかな(中期)

あなたは、ふと「自分の人生は、いったいあとどれだけ残っているんだろうか」と、思ったりすることはありませんか。

私たちは、漠然とですが、人は生まれた時から「寿命」が決まっているものだと思っています。

そして、寿命はしばしばローソクで譬えられます。

そのため、自分では分からないのですが、ローソクの長さは人によって違い、また長さの違いがそのまま「寿命」の違いということになっています。

したがって、イメージとしては、生まれた瞬間にいのちのローソクの火が燈り、年を経るごとにローソクはだんだんと短くなっていきます。

そして、ローソクの燃え尽きた瞬間がいのちの終わる時ということになります。

そこで、私たちはふと「あとどれだけ残っているんだろう…」と思ったりする訳ですが、これはいわゆる「引き算」の的な人生のとらえ方だと言えます。

将来、iPS細胞をはじめとする再生医療分野での研究が進めばさらに寿命は延びるかもしれませんが、今のところ医学的には「人間は120歳くらいまでは生きることが可能」なのだそうです。

テレビ番組を見ていて、そのようなことを聞くと、「人間も電化製品みたいに、例えば100年とかの保証期間とかあればいいのに!」と、思ったりしてしまいます。

そうなると「不慮の事故や災害などに遭わなければ、病気で死んだりするようなことはなくなり、一応誰もが100歳までは生きられます。

あとの20年は、それぞれの頑張り方次第…」ということにでもなるのでしょうか。

そうなれば、「あと○○年は大丈夫!」ということになり、私たちの人生設計も大きく変わるかもしれませんね。

けれども、残念ながら現実はそうではありません。

誰も「あと○○年は大丈夫!」」というようないのちの保証を受けることは出来ません。

しかも、私の死因は既に「生まれた」ということにあるのですから、その結果である「死」は、いつ私の上に訪れても不思議でも何でもないのです。

したがって、たとえどれほど巧みに事故や災害、病気など私を死へ誘う事柄を回避することができたとしても、最後は老衰で死んでしまいます。

なぜ死んでしまうのかと言えば、それはまさに「生まれた」からです。

一般に「死因」として考えられている不慮の事故や災害、あるいは病気などは、あくまでも「縁」であり、私の死因は「生まれた」ことです。

ですから、「死にたくなければ生まれなければ良い」のですが、既に生まれた以上、誰もが最後は必ず死ななければなりません。

時折「今朝、目が覚めたとき、嬉しかったですか」と尋ねることがあります。

そう言うと、反対に「今日は何の日ですか」と問い返されたりすることはあっても、「はい!」と答える人はいません。

朝目が覚めた時に「嬉しい!」という思いがこみあげてこないのは、なぜなのでしょうか。

それは、誰もが「朝目が覚めることは当たり前のことだ」と、無意識の内に思っているからです。

では、果たして、私にとって今朝目が覚めたことは「当たり前」のことなのでしょうか。

既に「生まれた」という原因がある以上、その結果として当然「死ぬべき」はずの私が、「たまたま今朝目が覚めたと」いうのが、その内実なのではないでしょうか。

そうすると、私たちの人生は決して「引き算」ではなく、実は「足し算」なのだと言えます。

既に「生まれた」という原因があり、しかも「○○年は生きられる」といった保証を受けられない以上、今朝死んでもおかしくない私が、こうして今朝目が覚めて生きているのです。

それは、いわば「今日」という一日のいのちを頂いたということに他なりません。

生まれてから今日まで、そのような一日一日の積み重ねが、まさに私の「人生」なのです。

そうすると、私たちは、ともすれば「あと、どれだけ残っているんだろうか」という「引き算」で人生をとらえてしまいがちなのですが、今朝目が覚めて「また、今日も一日のいのちを頂いた」と、「足し算」で受け止めることが大切なのではないでしょうか。

私たちは、朝目が覚めることに何の感動を覚えることもなく、「当たり前」のこととして生きているのですが、実は「朝目が覚めた」そのこと自体が、決して「当たり前」のことではないのです。

さて、私たちの身の回りには、まだ自身では気付いていない「当たり前ではないこと」が、いったいどれだけあるのでしょうか。

もしかすると、「当たり前ではないこと」に、満ちあふれているのもしれません。

「当たり前」と思っているところには、感動もなければ感謝の心も起きてはこないものです。

理屈としては理解することができても、さすがに毎朝起きるたびに目が覚めたことを喜ぶのは難しいものですが、「当たり前」と思っていても、実はそうではなかったと気付くところに、人生の喜びが湧いてくるように思われます。