大盗篇 あられ 2014年7月13日

きょうも仁(にん)和寺(なじ)の附近は賑(にぎ)わっていた。

一つの供養塔を建立(こんりゅう)した奇特な長者が、一族の者や朝野の貴顕を招いて、その棟(むね)上(あ)げの式を行い、それを見ようと集まった有(う)縁(えん)の人々やこの界隈(かいわい)に住む部落の貧民たちには、銭を撒(ま)いたり米を施(ほどこ)したりしたので、雪でも降りそうな一月の寒空だというのに、地上は時ならない慈雨のよろこびに混雑をみせているのだった。

「よいことをした。わしの家もこの功(く)徳(どく)で何代も栄えよう」

八十に近い長者はほくほくして自分の撒いた銭を拾う群れを見ていた。

何でもこの長者は戦のためにわずか一代で莫大な富を得た商人(あきんど)であったが、仁和寺の法筵で説教を聞いてからにわかに何事か悟ったらしく、その富の大半を挙げて今日の慈善を思い立ったのだという噂であった。

自分で蓄えた黄金のために、自分の晩年に絶えず負担と警戒を感じていた長者は、肩がかるくなったように、

「ああ、これで助かった」

といったそうである。

そして長者の善行を誉(ほ)め称(たた)える僧や門族や知己(しるべ)たちに囲まれて、長者は脱殻(ぬけがら)のように老いた体を援けられつつ、仁和寺の客間へ請(しょう)ぜられて行った。

「ありがたいお人じゃ」

「大慈悲人じゃ」

群衆はその姿へ感謝したが、救われたのは実は長者自身だった。

かつてこの長者から酷(ひど)い利息をしぼられたり、この長者の爪に燈(ひ)をともすような強慾ぶりを憎んで、鬼長者の何のと陰口をきいた人たちもまじっていたが、そういう過去はさておいて、人々はとにかく今の長者の行いにすっかり感激して、それも仏(ぶつ)陀(だ)の教(きょう)化(げ)であるとして、等しく法悦につつまれていた。

そういう群れの中で、誰かがふいに、泥棒っと呶鳴った。

泥棒という声をきくと傍(そば)の者はすぐ自分の懐中(ふところ)や袖へ手をやって検(あらた)めてみた。

すると、せっかく骨を折って拾った銭が紛(な)くなっていた者だの、笄(こうがい)を抜かれている女だの、袂を刃物で切られている者だのが数名あって、

「泥棒がいる。この中に泥棒がいる」と、あちこちから騒ぎ立てた。

無数の眼はつにに紛れこんでいる人間を調べ出して追いかけた。

群れを離れて逃げてゆく風態のわるい男が二人、鏡ヶ池のふちから山の中へ逃げこんでゆくのだった。

兇器を持っていることは分りきったことなので、誰も山へまでは追っては行けなかった。

二人の悪者は山歩きには馴れているらしく、衣笠(きぬがさ)の峰づたいに千本へ出て、やがて蓮台(れんだい)野(の)の枯れた萱(かや)の中を半身も没しながらざわざわとどこかへ歩いてゆく。

「寒いっ」

「ウウ寒い」

悪者はそんなことしかつぶやき合わなかった。

毎日の平凡な仕事をして当り前の稼(かせ)ぎから帰ってくるのと変りがない。

やがて、土民の家らしい一軒の家の戸をたたいて、「俺だ、開けてくれ」という。

野の上には雪にもならず低迷している冬雲が暮れかけていて、鳥が、風の中の木の葉みたいに飛ばされている。

「蜘蛛(くも)太(た)か」

酒をのんでいる炉(ろ)べりの者たちが戸口へ振りかえった。