「お盆」を迎える時期になると、50年以上昔の、「気を付けて帰れよ」と言う、母の一言が思い出されます。
私が子どもの頃に、母が大病をして入院しました。
病状はかなり悪かったようで、しばらく面会ができない日々が続きました。
お盆の頃になり、やっと病状が好転したようで、面会が許されました。
病室をのぞくと、付き添いは祖母が一人。
母はベッドの上で、顔も足も、むくみで腫れ上がったまま眠っています。
祖母とヒソヒソと話しながら、時間は経過するばかり。
母に言葉をかけてから帰ろうと思っても、目は閉じたまま微動だにしません。
祖母に
「お母さんはまだ疲れがあるようだから、僕は帰るよ。また明日来るから」
と言って部屋を出ようとすると、背中越しに聞えたのが、
「気を付けて帰れよ」
という言葉でした。
親であれば、我が子に向ってどれほどたくさん繰り返し使う言葉でしょうか。
でも、その親の言葉に本当に出遇えたのは、自分が我が子から「お父さん」と呼ばれる立場になってからです。
独身時代は、耳の左右から通り抜けるだけで、その言葉がどんなに尊い響きを持つものであるかに気付くことはありませんでした。
その母も、今は施設でお世話になりながらすでに90歳を迎えます。
時々、母を訪ねますが、帰り際には必ず「気を付けて帰れよ」と言ってくれます。
親にとっては、何歳になろうが、我が子は「子ども」なのでする
親が子を按ずる心は、そのまま仏さまの「お慈悲」のこころに通じるのではないでしょうか。
私の心の中には、お盆の時期になると、いつも母の一声がよみがえってきます。
南無阿弥陀仏