小説・親鸞 手長猿 2014年8月10日

仰ぐと、高い所に、ぼちとたった一つの燈(ひ)が見える。

宙(ちゅう)は、無数の星だったが、人間の手に点(とも)された光といえばそれ一点しか見あたらない。

右を見ても山、左を振返っても山、ただ真っ黒な闇の屏(びょう)風(ぶ)だった。

「こよいのうちに、会えればよいが――」

尋有はやっとそこの谷間を出てから心を希望へ結びなおした。

なつかしい兄はもうここからほど近い飯(いい)室谷(むろだに)の大乗院にいる。

骨肉のみが感じるひしとしたものが思慕の胸を噛んでくる。

「はやくお目にかかりたい」

足はおのずからつかれを忘れていた。

彼の心は真(ひた)向(む)きだった、一心であった。

一刻もはやく会わねばならない。

会ってそして自分の誠意をもって兄の心を打たなければならない。

兄は知っているのか知らずにいるのか、今、世上の兄に対する非難というものは耳をおおうてもなお防ぐことができない。

兄範(はん)宴(えん)は今や由々(ゆゆ)しい問題の人となっているのである。

囂々(ごうごう)として社会は兄を論難し、嘲殺し、排撃しつつあるのだ。

兄の恩師でありまた自分の師でもある青蓮院の僧正も、玉(たま)日(ひ)姫(ひめ)の父である月輪の前(さきの)関白(かんぱく)も、夜の眠りすら欠くばかりに、心を傷(いた)めていることを、よもや兄もしらぬわけではあるまいに。

――また、その問題も問題である。

あろうことかあるまいことか、貴族の姫君と、法俗の信望を担(にな)う一院の門跡とが、恋をしたというのだ、密会をしたというのだ、しかも六波羅の夜の警吏(やくにん)に、その証拠すらつかまれているという。

尋有はじっとしていられなかった。

老いたる師の体が毎夜、鉋に削(か)けてゆくように痩せてゆくのを側(はた)目(め)に見ても。

(こういう問題を残したまま、聖光院を捨てて、ただ御(み)山(やま)の奥へ、逃避されている兄がわからぬ。

ご卑怯だ、いや、兄君のお為にもならぬ。

このまま抛(ほう)っておいたら、世論はなお悪化するばかりではないか。

玉日様を愛するならば、玉日様の立場も考えてみるがよい。

師の君のお心のうちはどんなか、姫の父君の身になってみらるるがよい。

どうなりと、この際、善処のお考えをなさらぬ法はあるまい。

その兄が救われるならば、この自分などの一命はどうなろうがかまわぬ。

どういう御(お)相談(はからい)でもうけてこよう、兄の胸をたたいて聞いてこよう)

こう決心して、彼は、師の慈円にも黙って山へさして登ってきたのである。

山へ登るについても、世人の眼にふれてはと思い、はるか鞍馬口の方から峰づたいに、山の者にも遠くから来た雲水のように見せかけつつやっと辿(たど)り着いたのだった。

だが――尋有は世上で論議しているような不徳な兄とは信じていない。

兄の本質は誰よりも自分が知っている。

兄は決して多情な人ではない、溺れる人ではない、そういう情涙も脆(もろ)さも多分にある人には違いないが、一面に剛毅と熱血を持っていることでは誰にも劣らない生れつきである。

これと心をすえたことには断じて退(しりぞ)かない性格の人でもある。

それは源家の血を多分にうけた母の子である兄の長所でもあり、またみずから苦しむところの欠点でもあって、それが兄をしていつも安穏な境遇から求めて苦難の巷(ちまた)へ追い立てる何よりの素因であると、彼は今も歩みつつしみじみ考えてみるのだった。